勝利の神さま
高校3年、最後の夏の話です。
ガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえると、朋久は鍋の火を慌てて消して、玄関に向かった。
ドアがゆっくり開いて、そこから白いYシャツが見えると
「おかえり!」
入ってくる人を確認する前に声をかけた。
「おう、ただいま」
フライング気味に自分を出迎えた笑顔に、蓮は特別驚いた様子もなく返事をすると、左肩に掛けたエナメルバックをどかっと床に下ろした。
「はー疲れたー」
首を回しながら靴を脱ぎ、蓮が家に上がると、
「お疲れ。2試合連続コールドなんて絶好調じゃん」
朋久が玄関先に置いたずっしりと重いバックを持ち、リビングに向かう蓮の後を追った。
「しかも蓮、今日全部打ってなかった? かっこよかったぜっ」
ノーシードの喜多川高校は1回戦、2回戦とコールド勝ちで駒を進めた。
昨年初めて1回戦の壁を破ったという弱小高校とは思えない快進撃。
蓮も全打席でヒットを打った。
「でも次シードだからな。こんな巧くはいかないよ。去年もここで負けてるし。気を引き締めないと」
朋久の言葉に蓮が振り返って苦笑いを浮かべた。
昨年、喜多川高校は3回戦で第1シードの常陽学園と当たり、負けた。
だから油断は出来ないと蓮らしい答えだが、
「今年は大丈夫だって」
そう朋久は確信している。
今年の喜多川は去年よりずっとずっと強い。
天才・綾瀬和哉の加入に加え、昨秋からは県内一の強豪校常陽出身のコーチも新たに迎え、練習を積んできた。
和哉の活躍もさる事ながら、他のメンバーのレベルアップも著しかった。
1回戦は今までの喜多川と同じようなレベルの、参加する事に意義があるという学校だったが、今日の(2回戦)相手は決して格下の相手ではない。
強豪校ではないにしろ、常にベスト8に入る今までだったらコールドで逆に負けていてたような学校だった。
そこに快勝。しかもダブルスコアでの勝利。
それになんと言っても。
「俺が応援に行くし」
自信満々にそう言うと、
「なんでお前が来ると大丈夫なんだよ」
冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、蓮が呆れた顔をして笑った。
「だって俺の行く試合、ぜーんぶ勝ってるもん」
「はー? なにそれ」
朋久が勝ち誇ったように言うが、そのまま笑いながら蓮は麦茶を飲んだ。
「気づいてねーの? マジでマジだよ。春からずっと俺応援行ってるじゃん」
「でも春は県大会の1回戦で負けたし」
空になったコップをシンクに置くと、蓮はリビングに戻ってソファにどかっと座った。
その様子から、蓮は全く朋久の話を信じていないようだった。
しかし――。
「それ、俺が応援行けなかった唯一の試合だよ。電車止まっちゃって間に合わなかったってあん時言ったじゃん」
「……え? え? じゃーマジなわけ?」
それを聞いて、今まで話半分で聞いていた蓮がようやく驚いて朋久をまじまじと見つめ始めた。
「去年俺頭打ってさ、能力目覚めちゃったのかもな」
去年の夏、喜多川高校が負けたあの日、朋久は応援に行けず学校で逐一試合の中継をチェックしていた。
そわそわしながら携帯を見ていたせいで、移動教室の最中にうっかり階段を踏み外し転げ落ちたのだ。
そしてまさかの病院送り。
目を覚ました病院で、試合の結果を知った。
頭を打っていたせいで大事をとってその日入院せざるを得なかった為、試合に負けた日に朋久は蓮の側にいられなかった。
それがとても悔しくて、情けなくて、それ以来何があっても試合には絶対に応援に行っていた。
母親に怒られても、何を言われても練習試合すら学校を休んで。
そしたらある日、自分が観に行った試合で喜多川高校が負けた事がない事に気がついた。
さらにたまたま行けなかった試合に限って負けてしまった事で、朋久は自分の勝利の女神っぷりに自信を持ったのだった。
「俺まだ喜多川負けたとこ見たことねーんだぞ」
「それ、まじすげーわ」
朋久の説明に蓮が目を丸くしながら感嘆の声を漏らした。
「だろ? だから俺を信じろ」
「そーだな。じゃー勝てるな」
そんな台詞にも素直に嬉しそうに微笑み、蓮は麦茶を飲んだ。
「俺、いつもお前が外野席にいるの、うるせぇなーって思ってた。悪かったな」
「えー? なにそれ」
「だってお前、俺が守備つく度に蓮、蓮ーって大声でうっせーんだもん。気が散るっつーの」
朋久は出来るだけ蓮の守備位置のレフトに近い席に陣取っていた。喜多川の生徒ではないので、レフトスタンド側が相手校の応援席であっても、構わず蓮に一番近い場所で、蓮に声援を送り続けていた。
狭い球場だと距離が近すぎるし、試合に集中する妨げになってもよくないと試合中はおとなしく見つめているが、その分ベンチに引き上げる時、守備に付く時は必ず声援を送っていた。
それを蓮が「うるさい」と思っていたのだとは心外だ。
「うわー俺、チョーショック。機嫌損ねた。いいの? 勝利の神様不機嫌なんだけど。このままでいいの?」
口を尖らせ拗ねたようにそう言いながら、朋久はバックを床に置いて蓮の正面に回った。
「あーそういう事かよ」
「何がですかぁー」
「お前は結局そーゆーとこに繋げんだよ。全くもう」
「俺の声援うるさいって言ったのそっちだから」
「あーはいはい。悪かったって」
蓮は呆れるようにため息を吐き、渋々目を閉じた。
しかし、朋久の機嫌はこれでは直らない。
なにせ蓮が悪いのだから。
「蓮からしてよ」
朋久はツーンと顔を背け、強気に言い放つ。
「はぁ?」
調子に乗っている朋久相手に、蓮は眉をしかめた。
「蓮からしてくれないと俺応援行かないー」
「お前なぁ……」
「ほら、早くぅー」
朋久の勝利の神様説を聞いた後で蓮が邪険に出来ないのをわかってか、朋久は目を閉じ、ねだるように顔を突き出した。
「……職権乱用がすぎるだろ、この神様……」
ブツクサ言いながらも、蓮はチュッと軽く朋久にキスをした。
「これでいいか?」
そして仏頂面で朋久を睨みつける。
その顔が可愛くって、朋久はククっと笑い声をこぼすと、
「まー今日はこの辺で許してあげるー」
いいように扱われて面白くなさそうな表情の蓮に、朋久は抱きついた。
「お前、後で覚えとけよ」
「忘れるわけないじゃん。蓮からのキスー♪」
「そこは忘れていいっ!」
朋久の腕を振り払うように暴れる蓮だけど、本気でその腕を外そうとしない。
じゃれ合うように攻防をくりひろげ、そして不意に目が合うと二人同時に吹き出した。
数秒後笑い声が収まり、息を整えた二人の間に一瞬沈黙が訪れると、どちらからともなく自然にお互いの唇が引き寄せられ、ゆっくりと重なった。
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