その後、蓮は一言もしゃべってくれなかった。
 顔を歪めながらフラフラな躯で壁を伝い、リビングまで降りる時も風呂に入る時も、躯を支えてあげようかと俺が手を伸ばすと、その度無言でバシッとたたき落とされた。

「お、お疲れ……。えっと大丈夫だった?」

 蓮が風呂に入っている間に簡単に夕食の準備をしようとキッチンにいたのだが、蓮が風呂から上がってリビングに入ってきたので、慌ててキッチンから出て蓮の側に走り寄った――が。

 「……」

 蓮は相変わらず俺をちらっとみるだけで何も答えず、ゆっくりとソファに座った。
 その足下に擦り寄って来たイチローを蓮は抱き上げ、黙って撫でる。
 しょっぱなから羽目を外しすぎたとは思っているけど、ようやく両想いになれたのに、ずっと好きだったやつと結ばれて幸せいっぱいのはずなのに、今の二人の間を包む空気は修羅場のように重い。

「な、なぁ、蓮。あのさ……」

 その重すぎる空気に耐えられなくなり、ゆっくりと蓮に近づいた。
 
 「ごめんっ。本当ごめん! これからはちゃんと自粛するし、こんな無茶な事しねぇから!」
 
 とりあえず謝らないと。
 自分に非があるのはわかっているから、どんな罵倒も鉄拳制裁も受ける覚悟だった。
 ――全部無かったことにされる以外は。
 
「だから、だからこのまま俺と――」
「あの……さ。小木津……の事なんだけど……」
「……は? 隼人?」

 頭を下げて必死で謝罪している中、蓮の口から全く予想外で、しかも今聞きたくないの言葉を言われギクッとした。
 蓮の方から隼人の名前を出しのは初めての事だ。
 というか、この流れでなんでここで隼人の名前が出てくるんだ?

「え……まさか俺じゃダメだとか、そういう事――じゃ、ねーよな?」

 まさか、と思うがイヤな予感しかしない。
 サーッと血の気が引く。

「だったらそんな話、今聞きたくないんだけど」
 
 怖くて逃げようと立ち上がると、

「違ぇから聞けよ」

 蓮が静かに言った。

「蓮?」
「小木津は……俺の父さんに似てるんだ」
「え?」

 また意外な言葉が出てきて驚いた。
 蓮の父親の話は、なんとなく聞かない方がいいのかと思い、詳しく聞いたことがなかった。
 そんな蓮の父親と隼人が似ているーー?

「父さんも医者でさ。母さんと一緒の病院だったの。すげーかっこよくて優しい父さんだった。野球教えてくれたのも父さんだし」
「医者か。らしいなぁー」

 妙に納得した。
 出会った時から感じていたお坊っちゃんな雰囲気。
 特に理数系が得意な頭の良さ。両親とも医者だと聞いて合点がいった。
 かっこいい親父だったというのもわかる。
 俺の前ではいつも眉をしかめているけれど、蓮も結構な美形だ。
 試合の時だって、蓮の打席では黄色い歓声も上がっていた。
 ヒットを打った時の笑顔なんて最高だ。
 おばさんも美人だから、美形な蓮はおばさん似なのかなと思っていたけど、すっと父親も男前だったんだろうなと思っていた。

「小木津と初めて会ったとき、すげーかっこいいし人気者で、父さんみたいって思ったんだ。離婚して引っ越した後だったから、父さんが恋しかったのかもしれない」」
 
 父親のいない家庭―転校ときて、蓮たちが離婚と同時に引っ越してきたのかもというのは、なんとなく思っていた。
 好きだった父親と離れ、でも淋しくてもおばさんを心配させまいとして、ずっと良い子でいた蓮。
 そんな心細い所で、蓮は隼人と出会った。
 
――てゆーか、なんでそこで隼人?

 俺だってよくカッコイイって言われるし、それなりにモテるし、自分でも結構イケメンだと思うけど。
 しかもずっと側にいたのに。
 何度もその男前っぷりには驚かされてきたけれど、初めて隼人の器量の良さに嫉妬した。
 ずっと蓮は隼人に憧れていたんだ。
 だから二人で遊ぶ時も隼人を気にしていたのか。
 今更だけど、全く気がつかなかった無邪気な当時の自分に心が痛んだ。

「それで気が付いたら……。気のせいだと思ってたけど、小木津のさりげない一言一言に心が揺れて……だから避けた」

 苦しそうに息を吐きながら、蓮が告白する。
 隼人は天然のタラシだから、それはわかる。
 あいつは素で何も考えず、胸きゅんさせる台詞を吐く。
 兄弟同然で育った俺はもう免疫付いているけれど、それでもそういう隼人の態度に「こりゃ女だったら惚れるわー」としみじみ思う時がある。
 いや、女の子だけじゃなく、男友達にも「小木津になら掘られてもいい」と言わせるくらいだ。
 だからそんな小木津に惹かれた蓮の気持ちもわかる。
 
「……でもじゃあなんで、隼人に絡んでたんだよ」

 でも、それだけじゃ説明が付かない。
 それなら避けるだけでいいじゃないか。
 あんなに隼人に敵対心を持たなくてもいいのに。

「それは……中学入学前に、両親の離婚理由を知って。……父さんの、誰にでも優しい性格が原因だって聞いたら、なんか急に小木津にムカついたんだ」
「あー、そういう事……」

 隼人に似ているというのは、顔じゃなくて誰にでも優しい人気者って所だったのか。
 「私は特別」だと勘違いさせてしまう隼人の態度に、俺も何人の女の子に文句を言われてきた事か。
 離婚原因になるほどモテる親父だったら、そんな隼人と被っても仕方ないかもしれない。

「彼女がいるのに他の子と仲良くしたり、それを何も考えていなかったり……そういうのがどうしようもなくムカついたんだ。でも意識すればするほど……」
 
 俺に気を使っているのか、蓮はさっきから「好き」という言葉は使わず、言葉を濁している。
 蓮自身も認めたくないのかもしれないけれど。

「キタ高に行ったのはお前の言った通りだよ。アイツとの約束叶えたくて」
――そんなに隼人の事が好きだったんだ……
「で? 結局隼人が好きだって話じゃん」

 わかっていたことだけど、本人の口から言われるとさすがに凹む。
 どんだけ隼人を好きだったかを語っているだけで、俺の入る隙なんてこれっぽっちもないと言われているようだ。
 加えて、今更だが蓮にこんなにも想われて、全く気付かずにいる隼人に段々腹が立ってきた。
 八つ当たりとヤキモチ以外の何者でもないけれど、ずっと蓮を悩ませ苦しませた隼人。
 あんなに可愛く素直だった蓮の性格をこんなにもひねくれさせたのも、元々は隼人が蓮をタラすからだ。

「もういいよ。飯食おう」

 確かにきっかけとか、どこに惚れたんだろうと考えた事はあるけれど、もうこれ以上そんな話聞きたくない。
 キッチンに戻ろうと背を向けると、
 
「だから違うって! 最後まで聞けよっ」

 突然怒鳴った蓮の声に、膝の上のイチローが驚いて飛び降りた。

「だから! でも! お前が現れて、ぐちゃぐちゃに俺の心かき回されているうちに……その、小木津の事なんて忘れてたんだよ!」
「――え?」

 思わず振り返って蓮の見つめた。

――それって……どーゆー意味?

「あいつを甲子園に連れていくのは、俺じゃないって教えてくれたし。だから……もうとっくに小木津の事……その」
 
 視線を泳がせながら、蓮が呟く。
 顔が赤いのは、風呂上がりだからじゃないよな?
 それは、俺が蓮の中から隼人を追い出したって事?

「え?! そうなの?」

 気がつかなかった。わからなかった。いつの間に?
 あんなにずっと一途に想っていたのに、そんなに簡単に追い出せるもんなの?
 それとも、忘れるきっかけをずっと蓮は待っていたのだろうか。
 そこに俺が――。

「なのに……あんな事までしてるのに、お前はいつまでも勘違いして、ずっと隼人、隼人ってうるさいし。俺に声をかけるように小木津に言ったのもお前だろ?ふざけんなよ。すっげームカついたんだからな」
「え? じゃぁ あの時……」

 お前の気持ちは、俺を見て微笑んだ方で間違いなかったのか?
 睨んだのは、余計な事をしたから?

「あのヘラヘラしてる顔見ると、やっぱりムカつくんだけど。でもそれだけだよ。今はお前が……」

 ハッとすると、真っ赤になって顔を逸らした。
 「好き」という言葉を使うのがそんなに嫌なのか、蓮はそのまま黙ってしまった。

「蓮……」
――もう……隼人じゃなくて……

 ふ、と口元を緩ませた。
 蓮の隣に座り、顔をのぞき込む。

「今は俺の事が好きって事だよな?」
「っ!」
「顔にそう書いてるし」
「えっ!?」

 笑ってそう言うと、蓮は慌てて両手で頬を覆った。

――そんなお約束な手に、簡単に引っかかるなよ。

「お前ってホントわかりやすいな」
「なっ!」
 
 カッとして顔を上げた瞬間にすかさずキスをする。

「お前……っ」

 意地っ張りで頑固で頑ななのに、実は詰めが甘くて隙だらけの蓮が本当に好きだと改めて思った。

「俺は蓮が好きだよ。ね、蓮は?」

 精一杯優しい声で尋ねると、

「……お前が不意に死んでも後悔しねーように、一回だけ言うけど……」

 そう呟かれた。

「え?」

 まさかの返事に思わず緊張する。

――え、え、言ってくれるの? ボイレコ用意しとけばよかったかも!!

 ドキドキ心臓が速まる。
 すると、

「…………俺もだよ……」

 イチローが鳴いたらかき消えてしまいそうなくらい、とても小さい声で呟いた。

「……お前絶対、好きって言わないつもりか」
「うるせぇっ、十分だろうが!」

 まぁ正直がっかりはしたが、蓮だしなと思うとその言葉だけでも聞けただけ奇跡だ。
 頑固な蓮の事だから、素直にその言葉を聞くのを待っていたら何年かかるかわからない。
 今度、感情が高ぶって素直になっている時に改めて聞けばいいやと、ふっと笑った。

「蓮、好きだよ」

 そしてもう一度キスをしようと顔を寄せる――が、唇は手のひらで遮られた。

「えー……なんで?」
「お前暴走するからしばらくしねぇ。覚悟しとけ、ケダモノ」

 そう言ってソファから立ち上がると、俺を避けるようにダイニングテーブルに向かった。

「――え!? ええええええーーーーっ! 俺が明日死んだらお前どーすんだよ! 俺だって浮かばれねぇよ!」
「大丈夫だって言ったろーが!! もう騙されねぇかんな!」

 隼人の話ですっかり忘れていたが、蓮の怒りは収まっていなかったようだ。


****


 その翌日、蓮は俺と一緒に実家を訪れ、お手伝い契約の一年更新を両親に頼んでくれた。
 父さんは問題なかったが、母さんが意外にも結構渋った。
 家になかなか連絡もせず、滅多に帰らなかったのが要因らしい。
 しかし、蓮の家に行き始めてから、かなり品行方正な生活になった点を必死で訴えると、なんとか来年まで延長を認めてくれた。
 ただ、今まで散々遊び放題で好き勝手やっていた俺の事なんて諦めて放置していたくせに、「蓮といたい(このまま友達と楽しく暮らしたい)」というのが俺の弱みだとわかった母さんが急に学業優先だとか言い出し、色々条件を出してきた。
 試験期間は実家に戻る事、その間は蓮の家での手伝いは禁止。
 そして二学期の中間試験で学年順位を今よりも10位上げる事、とすべてかなり厳しいものばかり。
 手伝いをしてくれているお礼にと「勉強は俺が教えに行ってやるから」と蓮が言ってくれたのは嬉しいが、俺にとっては学年順位を上げる事よりなによりも、一番のネックは「手伝い禁止」期間が出来た事だ。

 ただでさえ、事前に蓮と今後のエッチの回数でかなり揉めたのに。

 週1日、1回までという蓮の要求はなんとか「最高週3日、1晩2回まで」に上げられたが、「練習、公式含む試合前3日間と、おばさんがいる日は絶対ダメ」「繰越なんてもちろん無し!」と、かなり制限をつけられた。
 それでかなり凹んでいるところに、まさかの「手伝い禁止期間」発生。
 蓮の家と違ってうちはマンションだし、母さんは専業主婦で家にはいつもいる。
 そんな中、蓮とエッチなんて出来るわけがない。
 しかも話の流れで、蓮の事が好きな妹が図々しく「私も勉強を教えて」と言い出し、蓮も俺に見せたことないにこやかな笑顔で「いいよ」と答えるし!

――そんなのエッチどころかキスだって、触れる事だって厳しくなるだろうが! 勘弁してくれ。

 「破ったら即行契約解消だから」とにっこり微笑む蓮と母さんの笑みがものすごく怖かった。
 不安が頭を過ぎる。
 
――あの快感を知ってしまった俺は、果たして我慢できるのだろうか……

 一年間無事延長された同棲生活だけれど、幸せラブラブどころか、かなりの精神修行的なものになるかもしれない――。

ご愛読ありがとうございました!

結構な長さになってしまいましたが、ここまで読んで下さってありがとうございます。
今後も朋久と蓮の物語は続いていきます。小木津×和哉カップルとも絡んだ話を書けたらなーと思います。
今後ともこの二人をよろしくお願いします(*^^*)
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