指先が震えるくらい、緊張しながら和哉はインターフォンを押した。
この家には何度も遊びに来ているのに、今日ほど緊張したことはない。
小木津が出てくれればいいな、と祈っていたが、
《はい?》
スピーカーから聞こえてきたのは、若い女の子の声だった。
「あ、あの、遅くに済みませんっ。あの僕、小木津……あ、隼人君の高校の友達で綾瀬っていいます。あの今日隼人君学校やす――」
《下の名前なんてゆーの?》
失礼のないようにと、言葉を選びながら必死でインターフォンに向かって自己紹介をしている最中、突然話をぶった切られた。
「え?」
《だからぁ、下の名前。綾瀬なんてゆーの?》
「あ、和哉です。綾瀬和哉って言います」
突然名前を聞かれ戸惑っていると途端に声が不機嫌になったので、慌てて名前を名乗ったが、途端にインターフォンを切られてしまった。
「え?!」
――えー? なんか俺やっちゃった?
部活が終わった後、小木津の家に様子を見に行こうかなと呟いた時、蓮とキャプテンの石岡が声を揃えてが「姉が出てきたらとにかく気をつけろ」と言って来た。
姉と言うが小木津とは双子で、モデルをやっているという。かなりの美少女で女子の間では結構有名人らしいが、二人に言わせると顔に似合わず、昔からガキ大将的存在だったらしい。
とにかく怒らせるとものすごい怖いと言うことで、小木津もその姉が苦手らしく、和哉に会わせないようにしているのか、何度か小木津の家に遊びに来ている和哉も、まだ会った事はなかった。
「……どうしよう」
おそらく今インターフォンに出た子がその姉だ。
小木津には他に姉弟はいないし、母親にしては若すぎる。
「最初からフルネーム言わないとダメだったのかな……どうしよう、怒らせちゃったかも……」
しかし、丁寧に対応したつもりだったのに、一方的にインターフォンを切られてしまった。
どこが気に障ったのか、さっぱりわからない。
蓮も石岡もただ「機嫌を損ねないようにしろ」としか言わず、何に気をつければいいのか教えてはくれなかった。
これは帰れと言う事なのかなと、諦めて踵を返し背を向けた時、ガチャッと玄関が開いた。
「あ! こ、こんばんは!」
慌てて振り返ると、和哉はビシッと背筋を伸ばした。
家の中からメガネをかけたスラッとした女の子が出て来た。
彼女はタンタンタン……とリズムよく石段を下り、和哉の前に立つと、じっと和哉を見つめた。
「あの俺――」
「あんたが隼人の相手?」
改めて名前を告げようと思ったのに、またしても言葉を遮られてしまった。
「え? な、何の……」
全身を舐めるように見る視線に、思わず腰を引いてしまった。
モデルをしているというだけあって、華奢で長身、豊満なバストでスタイルは抜群。
芸能人のようなオーラを纏う彼女に、緊張した。
が、間近でよく見ると、顔のパーツは小木津とほとんど同じだった。
小木津よりは確かに女の子らしい顔つきなので、パッと見は双子だとは分かりづらいが、その凛々しいパーツは小木津とそっくり。
それに気がつくと、思わず和哉も彼女の顔をじっと見返していた。
彼女が小木津の双子の姉、仁美で間違いない。
「だってカズヤなんでしょ? あんた」
しかし気の強そうな口調と、品定めをしているような鋭い視線は、小木津と全く似ていない。むしろ真逆だ。
小木津や蓮達が彼女を恐れる理由がなんとなくわかった。
「あ、はい。そうです……けど……」
しかし、その迫力に押されながら答えると、
「へ〜〜〜ぇ。なかなか可愛い子じゃない」
一転して、仁美はにこっと微笑んだ。
「え――?」
「わざわざありがとう。どうぞ、入って」
急に愛想が良くなった仁美は、そう言って和哉を誘導するように背を向け、家に入っていった。
「え? え?」
「ほら、早くー」
「あ、はい!」
仁美の変わりように驚きながら、和哉は言われるまま仁美の後に付いていった。
****
「あのバカの為なんかに、わざわざ来なくてもいいのに〜。いじらしいんだね」
「い、いえ……」
――どういう意味だろ……?
後ろを歩く和哉を時折振り返り、にっこり笑う。
「本当にたいしたことないんだよ。あいつヘタレだからさー。ちょっと熱高かっただけでさー、死ぬ死ぬってもーうるさいの」
「そうなんだ」
言葉は酷いけれど、先ほどの威圧感たっぷりの印象と正反対のにこやかな笑みを浮かべる仁美に、和哉も笑顔で返す。
――なんだ、普通にいい子じゃん。
最初こそ怖かったが、和哉は仁美が小木津達が口を揃えて言うような乱暴な子には思えなかった。
ちょっと口は悪いけれど話は面白いし、可愛くていい子だと思うようになった。
――が。
「隼人ー、生きてるー?」
ノックもなしにいきなりガラッとドアを開け、部屋に入って行く仁美に驚いて、和哉の方がドキッとしてしまった。
「ちょ、てめぇっいきなり入ってくんなって言ってんだろ!」
開けたドアから隼人の怒声が聞こえると、その後すぐにひょこっと扉から仁美が顔を出した。
「ね、元気でしょ?」
「そうだね」
それには和哉も思わずクスッと笑ってしまった。
「……なんだよ。誰と話してんだよ、お前」
「そんな言い方していいのー?」
訝しげな小木津の声に、仁美はもう一度部屋に戻ると中から手を出して和哉を手招きした。
「え? あ、あぁ」
ゆっくりとドアに近づくと、
「ほら、あんたのハニーちゃん。お見舞い来てるわよ」
いきなり和哉の腕を引っ張り、強引に部屋に引き込んだ。
「うわぁっ」
そして小木津のいるベッドの側に、ポンと差し出すように仁美に背中を押された。
「か、和哉!!」
「おう。元気そうじゃん」
驚いて固まる小木津に、和哉は苦笑いを浮かべた。
「え? わざわざ来てくれたの?!」
小木津が慌ててベッドの上に正座する。
「うん、まぁ……」
ただなんとなく様子を見に行ってみようかなと思っただけなのに、そんな態度でそう言われると急に恥ずかしくなった。
「さんきゅ。和哉。すげー嬉しい」
「い、いや……別に」
にっこりと微笑まれ、和哉の顔がほんのり赤くなった。
ボサボサ髪で寝起き姿なのに、小木津はそんな状態でもかっこいい。
――小木津ってすげぇな……。
思わず感心して見とれていると、
「和哉君、騙されるんじゃないわよ。そこにいるのはただのケダモノだから」
まだ部屋にいた仁美が、そんな和哉に冷たく一言言い放った。
「え?」
驚いて仁美の方を振り返ると、仁美は蔑んだ視線を小木津に向けていた。
「あんた和哉君にその悪性隼人菌、伝染すんじゃないわよ。いいわね?」
「な……っ、うっせぇ! 早く出てけ!」
仁美の台詞に小木津は側にある大きなぬいぐるみを仁美に投げつけた。
「ちょ、小木津っ」
「やだぁ、こっわぁい。もー信じられなぁい。和哉君、十分気をつけてねー」
両腕を抱き、大げさに震えながらそう言うと、仁美はにやけた笑顔で部屋を出ていった。
「あの、仁美さんって一体――」
「シッ」
扉が閉まり、和哉がその場に座りながらそう言いかけると、小木津は突然人差し指を唇に当て和哉の言葉を遮った。
バッとベッドから飛び降りると、小木津はゆっくりと入り口の扉に向かい、そっと耳を当てた。
――え? え?
小木津の行動に和哉が戸惑っていると、
「――よし、大丈夫。あいつに何かされなかったか? 大丈夫か?」
数秒後ホッとした表情を浮かべ、小木津は和哉に向かい合い肩をガシッと掴んだ。
「え? う、うん。何もないよ」
小木津も大げさだなと、苦笑いを浮かべた。
仁美に対する態度はかなり過敏で、和哉の知っているいつもの飄々としている小木津ではない。
小木津の蓮に対する態度に似ているが、双子の弟である小木津が、こんなにも仁美に警戒している姿が不思議だった。
「仁美さんってなんか不思議な人だけど、いい人じゃん。みんな脅かすから、もうすっかり騙されたよー」
ちょっとおかしな人だとは思うけれど、和哉としては仁美がみんなが言うほど悪い人じゃないように思える。
「いい人ぉ? あいつが?」
「うん。だってわざわざありがとうって言ってくれたし」
部屋まで案内してくれた時の仁美は、普通の笑顔が可愛い女の子だった。
小木津に対する態度はつっけんどんだが、それも姉弟間の空気を感じる。
双子だから余計に、お互い遠慮がないのかもしれない。
「すごく可愛いのに、小木津そっくりってなんか変な感じだね。笑うと特に似てるよね」
「笑った? あいつが?? あいつ男嫌いの気があるから仕事以外で笑わないんだぞ?」
「そーなの? そんな感じしなかったけどなぁ。でもそれなら俺、認められたみたいで嬉しいかも」
小木津の「双子の姉」だからかもしれないが、和哉はそれほど仁美を特別怖くは感じなかった。
「お前……すげぇな……」
小木津が感心するようにため息と同時にそう呟いた。
「そんなことより、大丈夫……そうだな。元気でよかった」
仁美に対する威勢のいい小木津を思い出し、和哉は微笑んだ。
「あーうん。まさかお前が来てくれるなんて思っていなかったから、なんか……格好悪いトコみせっちゃったな」
小木津はさっきまでの姉弟バトルと思い出したのか、頭を掻きながら、ベッドを背にして和哉の前に座った。
「それはそれで面白かったよ。それに……元はといえばその……俺の風邪だし」
保健室でのキスが、小木津に熱を伝染してしまった原因だと考える和哉は、照れくさそうに頬を赤らめた。
「でもわざわざ来てくれなくても。すっげー嬉しかったけど」
「だって俺の時、お前毎日来てくれたから……」
「毎日ったってたった二日じゃん。それにお前の家は学校の側だし」
「それでも俺嬉しかったんだよ」
和哉が熱を出して学校を休んだ時、小木津は学校帰りに毎日家に寄ってくれた。
だから、和哉も小木津の顔を見に来た。
祖父母が家にいるとはいえ、初めての高熱で心細かった和哉は、小木津の顔を見てホッとした。
小木津に会いたいなと思っていたので、来てくれて嬉しかった。
だから小木津も同じだったらいいなと、会いに来た。
それに。
「あと……俺もお前に会いたかったんだよね」
いつも一緒にいるせいか、小木津がいないのがなんか変な感じだった。
二人で帰っていた帰り道も、今日は電車組のチームメイトと帰った。
「なんかお前がいないと変な感じでさ。落ち着かない」
それなりに新鮮で楽しかったけれど、やはり寂しかった。
「和哉……やべ、すっげぇ嬉しい」
それを伝えると、小木津は珍しく照れくさそうな笑みを浮かべた。
そして、
「なぁ、和哉。キス、していい?」
和哉の肩に手を置くと、小木津が和哉の顔をのぞき込みんだ。
「へ? ……え! いや、でもあの」
「すっげー今キスしたくなった。お前に伝染らないように、今度は軽くするから、な?」
「え、あ、いや、でも」
両手で頬を包み、迫ってくる小木津の顔に思わずギュッと目を瞑ってしまった。
しかし二人の唇が重なる直前――。
「ダメに決まってるでしょ!」
スパーン!と音を立てて突然扉が開いた。
ハッとして目を開け振り向くと、入り口には仁美が仁王立ちしていた。
「おまっ、やっぱり盗み聞きしてやがったな!!」
「っ?!」
突然出てきた仁美と、キスされる直前を見られたというショックに、和哉は軽くパニックになっていた。
「もー、信じられない。ほんっとあんたってケダモノ。和哉君、もう帰った方がいいわよ。変な菌移される前に」
「え、あ、お……」
驚き過ぎて、唸るだけで何も言えないまま、和哉は仁美に腕を取られ、引っ張られるまま部屋から出されてしまった。
「ちょっと、ひと……ねぇちゃん! 和哉!」
「あの、えっと」
部屋から出る前縋るように小木津を見ると、顔の前で両手を合わせ「ゴメンっ」と言っていた。
帰り途中で小木津から謝罪のメールが来たが、和哉達の関係など全てを知っているらしいという小木津のメールに、和哉は目眩と共に、そこでようやく仁美の怖さを知る事となった。
一体どんな顔をして今度仁美と顔を合わせればいいのだろうか――別の意味で和哉は熱が出そうだった。
・・・end
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