Happiness

高校2年時の小木津の誕生日話。
恋人同士になってまだ数日のラブラブほやほや状態です。


 初めて和哉とキスしたのが1回戦・初戦初勝利をあげた日。
 5ー0で2回戦を完勝した日は、喜びでテンションがあがっていたどさくさで、ちょっと舌も入れてみた。
驚いていたが、おどおどしながらも和哉は受け入れてくれた。
 舌を入れただけで震えるあまりの初々しさに、あの時は俺がどうにかなりそうで、理性を総動員しても抑えるのが大変だった。
 そして今日――7月14日。
 この日は俺の17回目の誕生日。
 そして3回戦当日。
 まさか自分の誕生日と3回戦が重なるなんて思ってもみなかった。
 しかも相手は第一シードの常陽学園。
 厳しい試合展開になるとは思うが、今の野球部だったら決して勝てない相手ではない。
 対戦が決まった時も、そして球場に向けての出発前の時も、一番の強豪校を相手にすると言うのに、和哉から不安は感じられなかった。
 1回戦で初キス。2回戦でディープキス――ときたら、3回戦のこの試合に勝った暁にはもしかして……と、俺は今日という日にかなり期待し胸を躍らせていた。

「試合どうなったんだろう」

 和哉との関係の進展がかかっているというだけではないが、試合の結果が気になってその日一日は携帯を手放せなかった。
 授業中でもこっそり速報サイトにアクセスし、試合経過をチェックする。  
 吹奏楽部は応援に行けて公欠扱いになるのに、発足して間もない応援団には公欠の申請が下りなかった。
 野球部の応援に行かないでなんの為の応援団なんだと前日まで必死に訴え続けたが、とうとう認めてもらう事はできなかった。
 学校をさぼって行こうかとも考えたが、和哉に止められた。

「そんなのダメだよ。バレたらそれこそ大変だろ?」
「でもさー」
「大丈夫。俺、頑張るから。だからお前は学校で待ってて」

 和哉にそう言われたら、諦めざるを得ない。
 それに和哉の言うとおり、もしサボリがバレたら応援団そのものがなくなってしまう可能性もある。
 そんなの本末転倒だ。

「この次の試合は日曜だし……俺もお前の団服姿また見たいから、絶対に勝つよ」
「……わかったよ」

 そう言って微笑む顔の中に和哉の勝利への強い意志を感じ、俺は和哉を信じて送り出した。
 
しかし――。

「え! 点取られてるじゃん!」

 12時からの試合だから、まだ30分も経っていない。
 それなのに、昼休みの間にもう1点先取されていた。

――大丈夫。和哉が負けるはずない。絶対勝つって言ってた。

 信じていてもドキドキして手が震えた。
 相手は甲子園で優勝経験もある名門、常陽学園だ。
 簡単に勝たせてもらえる学校でないのはわかってはいるが、情報が更新されるのが怖かった。
 その後も教師の目を盗んで情報をチェックする。
 と、7回に追加点を取られて2ー0になっていた。

「んなっ?!」
「なんだ、小木津どうした?」
「あ、いえ。何でもないです」

 思わず上げた声を教師に気づかれ、慌てて笑顔で取り繕うと、携帯を机の中にしまい祈るように両手を握った。
 胸が苦しくなって、もう速報が見れなかった。

――和哉……頑張れ……っ

 机に肘を付き、握った両手を額に当てる。
 和哉達を信じるしかない。

――大丈夫、勝つ。勝てる。勝てる――。

 その授業が終わって数分後、野球部が1ー3で負けたと校内アナウンスが流れた。 

******

 午後4時――野球部が帰ってきたと聞いて、俺は急いで野球部の部室に向かった。
 しかし部室の前で待っていてもなかなか和哉は出てこない。
 どうしたんだろうと部室を覗こうとすると、中から出てきたキャプテンの岩間先輩と鉢合わせになった。

「おぅ」
「あ、キャプテン……」

 応援団設立から、随分と世話になっている先輩だ。
 その岩間先輩の目が真っ赤になっているのを見ると、なんて声をかけていいか戸惑った。
 先輩達の最後の夏が終わった事を、野球部が負けたのだという事を、実感させられる。

「応援してもらってたのに、負けちゃってごめんな」
「え、いや……そんな……あの、お疲れさまでした」
「サンキュ。あ、和哉ならまだ中にいるよ」

 どう声をかければいいのか迷っていると、そう先輩の方からそう言われた。
 そして、

「多分……俺たちより落ちこんでるからさ。フォローしてやって」

 先輩はそう言ってちらっと部室に視線を投げると、どこか悲しそうな笑みを浮かべ去っていった。

「……え?」

 先輩の言葉にドキッとして恐る恐る部室を覗くと、和哉はロッカーの前に立ったまま俯いていた。 
 今にも泣きそうな、悔しそうな顔で。

「……和哉?」
「あ、小木津」

 俺が声をかけると和哉はハッと顔を上げ、

「ごめん、勝つって約束したのに……負けちゃった……」

 慌てて取り繕うような笑みを浮かべた。
 先輩の言うとおり泣かないように無理をしている、明らかな作り笑顔だった。

「でもさ。あの常陽相手に2点差だろ?1点も取ってるしすげー頑張ったじゃん」

 慰めようと言った言葉だったが、それは本音でもあった。
 去年まで毎回初戦で敗退していた野球部が、たった2ヶ月で優勝候補の学校に1点を取り、しかもたった2点差まで追いつめる事が出来たなんて、よく考えたらそれだけでもすごい事だ。
 和哉がいなかったら、きっとそこまで行けなかった。

「でも、負けは負けなんだよ」
「え……?」

 しかし和哉はふっと笑みを消し、目を反らすと、珍しくらしくない強い口調で否定した。
 
「何点取れても、点差が少なくても、負けたら終わりなんだよ」
「……」
「あ、いや。ごめん……」

 初めて見た和哉の様子に、驚いて唖然と立ち尽くしていると、それに気づいた和哉は慌てて笑顔を見せた。

「俺……自分がもっと出来ると思ってたんだよね。でも全然まだまだだったよ。相手の球に全く手が出なかったんだ。あーやっぱ常陽は強いなぁ……くそう……」

 努めて明るい口調にして、強気で気丈に振る舞っているけれど、どこか無理をしているのは明らかだった。
 和哉は活躍できなかった自分を責めている。

「和哉……」
「ごめんな。お前の誕生日だし……勝ったよって……言いたかったのに…………ごめん……」

 しかし言っているうちに和哉の言葉が詰まりだし、そして不意にその瞳からポロリと涙がこぼれた。

「あ、あれ? あ……ごめん、あの。ちょっと待って……お前の前だとどうも気が緩んで……」
「――っ」
「わっ」

 慌てて涙を拭き、顔を背けて泣いたことを誤魔化すように笑おうとする和哉をたまらず抱き寄せた。
 そんな和哉が痛々しくて見ていられなかった。

「もう我慢すんなよ」
「え……」
「別にさ、泣いたっていいじゃん。俺しかいないんだから」
「……小木津……」

 俺の言葉に、和哉が驚いたような声でつぶやいた。
 おそらくずっとあの鬼監督(父親)から、「泣く暇あったら努力しろ」などとを厳しく言われ、言われた通りにしていたんだろう。
 自分もサッカーをやっていた時、監督からそう言われていた。
 言いたいことはわかるし一理あるとは思うけれど、人間の感情はそんな単純なものじゃない。

「だってさー、そりゃ悔しいだろ。あんなに頑張ってたんだもん、悔しくないわけないよ。だったら泣きたくなるの当たり前だっつーの。俺だって今すげー泣きたいもん」

 悔しいものは悔しいし、努力してきたから泣きたくなるほど感情が爆発しちゃうんだ。
 それを止めろと言われても、無理なもんは無理だ。

「だからさ。我慢できないなら泣いちゃえよ、和哉」
「……っ」

 頭をぽんぽんと軽く叩きながらそう言うと、和哉は必死で堪えていた気持ちを解放するように、泣いた。
 縋るように、俺の背中をぎゅっと握って。
 入部してから名門シニア出身の和哉はチームの中心としてやってきた。
 多分、自分の知らないところで、ずっと色々な気持ちを押し殺していたんだろう。
 和哉は「悔しい」「ごめん」を繰り返しながら、しばらく泣き続けた。

*****

「……ごめん……濡れちゃったね」

 数分後、落ち着いた和哉は照れくさそうにそう言うと、ゆっくりと体を離した。

「気にすんなって。こんなのすぐ乾くし」
「……お前の誕生日なのに……なんか……ごめんな」

 そして、俺の顔色を伺うようにチラッとを見上げると、フッと笑みをこぼした。

「っ!」

 涙で光る長いまつげに、まだ濡れている瞳で見上げられ、思わず息を飲んでしまった。

「あ! いや、そ、それよりさ、なんか暑くね? ょっと開けとこうか」

 慌てて和哉から離れると、閉めていた部室のドアを開けた。
 蒸し暑い部室に、生暖かい風がサーッと通り過ぎていく。

(はー……マジで今のやばかったーっ)

 入ってくる風に合わせてこっそり深呼吸をする。

(このまま開けておいた方がいいな)

 泣き顔なんて破壊力抜群の和哉にうっかり理性を壊されそうになり、このまま密室に二人きりでいたら危険だと判断し、俺はそのままドアを開け放しにした。
 チャンスはありそうだし、学校でする事に興味がなくはないが、今のこの状況で和哉を抱くわけにいかない。
 さすがにそれは卑怯だ。

「和哉」

 ふーっともう一度深呼吸をすると、くるっと振り返り和哉を見つめた。

「何?」

 濡れた目をこすりながら、和哉が振り向く。
 もう先ほどまでの辛そうな、痛々しい空気は纏っていなかった。
 それを確認すると、

「帰ろっか」

 そう言っていつものようにニッと笑った。

「……うん」

 ドアも開けっ放しにしているし、今日は期待していた進展は望めなそうだけれど、スッキリした和哉の笑顔を見ていると、それでもいいと思えてくる。
 早く関係を進めたいとは思うけれど、焦って失敗はしたくない。
 本当に大事にしたいと心底思う。
 和哉といるだけで、隣にいるだけで幸せになる。
 和哉は「よっ」と言いながら足下にあった重そうなカバンを肩に掛けると、

「あ、でもさ」

 そう言ってくるっと振り向いた。

「やっぱ来年は応援団も一緒に来いよな。向こうは応援団もチアもいて賑やかだったんだよ。うちの史上最強の応援団を見せられないの、悔しかった」

 そして少し唇を尖らせながら言った。

「おう、もちろん! 来年は絶対、全試合応援に行くよ。何が何でも」

 和哉に会う前から、来年は学校に止められようと応援団がどうなろうと、全試合応援に行くと決めていた。
 こんなやきもきした気持ちで、結果が出るのを待っているなんて耐えられない。

「それに和哉だって――」
「っててゆーか……お前の声、落ち着くし……いてくれた方が力になる……」

 照れくさそうにそう言う和哉に、思わずきゅんと胸が鳴った。

(もうコイツは……煽るなっつーの)

 自分で言っちゃおうと思っていたことを、先に言われてしまった。
 和哉は素でそういう事をさらりと言うから困る。 
 だから和哉には自分が必要なんだ、とつい自惚れてしまう。

「あ、でもお前がいなかったから今日負けたわけじゃないからなっ! お前のせいじゃないぞ!?」
「わかってるって。俺もここでただ待ってるのもう嫌だもん」
「……来年は絶対負けないよ。だってほら、お前と一緒に全国デビューする約束だもんな」

 俺の側に寄ると和哉は俺を見上げ、そう言っていたずらっぽくニッと笑った。
 その笑顔にドキッとした。
 今までになく、すごく自信に満ち溢れているように感じて。

――大丈夫。来年は絶対負けない。

 和哉の笑顔を見ていると、そう思わずにはいられない。
 これがあの弱小野球部をやる気にさせた、和哉の持つ不思議な力なのかもしれない。
 
「おう。そうだよ。たった2ヶ月で常陽相手に2点差で戦えたんだから、1年もありゃーすげー強さになんだろ。全国デビューするなら、いっそ日本一になっちゃおうぜ」
「そうだな!」

 和哉の言葉に同意し話を膨らますと、和哉はさらに笑顔になった。
 和哉はやっぱり強い。
 あんなに辛そうな顔をしていたのに、もう切り替えて前を向いている。
 まっすぐに前を。
 力強く。

「和哉」
「ん?」

 部室を出る直前、入り口を塞ぐように立つと、

「一緒に行こうな、甲子園」

 和哉を俺の体で外から見えないように隠して、チュッとキスをした。
 
「ちょっ、お前ドア! ドア開いてるのにっ」
「見えてねぇってば。俺、今日誕生日なんだからいーじゃん」
「よくねぇよ! ばかっ」

 慌てて周囲を見回している和哉の頬に、もう一回軽くキスをして、俺は笑いながら先に部室を出た。

 苦い思い出になっちゃったけれど、でも今までで一番印象的で、思い出深い一日だった。
 俺は今年の誕生日を絶対に忘れないだろう。
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