それから半日経っても、まだ朋久は帰ってこなかった。
「あら、まだトモ君来てないの? どうしたのかしら……」
昼から自室で仮眠を取っていた礼子が、まだ朋久がいないリビングを見て心配そうに眉をしかめた。
「あ、うん……そうだね」
時計を見るともう5時を回っている。
あれからずっと、蓮は15分置きくらいに時計と携帯を何度も確認しているが、まだ朋久からの連絡はなかった。
もう外は真っ暗になっている。
いつも朝8時には蓮の家にやってくるので、礼子が不審がっても仕方はない。
蓮も昼頃「母さん会いたがってるから早く帰ってこい」と朋久に帰宅を促すメールを送った。
礼子をだしに使った事は自分でも素直じゃないと思った。何度も削除・訂正を繰り返し一度は「ごめん。帰ってきて欲しい」と打ったが、どうしても送信ボタンが押せなかった。
そのメール作成画面を1時間見つめ、そしてようやく送ったのが、可愛さも素直さのかけらもない先述の一文。
だから蓮も朋久から返信も連絡もない事に不安を感じていた。
いつもだったら数秒で即レスしてくるからなおさら。
「な、なんか用事でもあったんじゃね?」
可愛げのない自分に嫌気がさして、もう帰ってこないかもしれないという不安を隠すようにそう答えると、
「ねぇ……一度トモ君来てるでしょ?」
礼子が疑うような視線を向け、そう蓮に言った。
「へ?! え、な、なんで?」
突然の指摘に思わず声が裏返ってしまった。
「相変わらずわかりやすい子ねー。だってすでに旅行の分洗濯終わってるし、ちゃんときれいに干してあるんだもの。蓮の干し方と全然違うじゃない」
「うっ……」
否定できない鋭い指摘にさすが母親だな、と蓮が思わず感心しかけると、礼子はさらに追い打ちをかけた。
「で? トモ君来てたのを隠したって事は、またケンカしたのね」
「えっ!」
「どうせ蓮が可愛げのない事言ってトモ君怒らせたんでしょ。さっさと謝っちゃいなさいよ」
「な、なんで俺が悪いことになってるんだよ」
礼子が朋久の事を気に入っているのはわかっているが、朋久が悪いなんて微塵も考えない礼子の物言いにカチンとして思わず言い返す。
「だって蓮の為にトモ君がいつも一生懸命がんばってくれているの、お母さん知ってるもの。蓮の事を一番に考えてくれているトモ君が、蓮に意地悪するなんて考えられないけど」
「それは……そうだけど……」
それを言われてしまうと何も言えない。
朋久の中心はいつも蓮で、蓮の為にといつも色々動いてくれる。端から見れば本当にすばらしい親友だ。
でも朋久の行動は時に暴走するし、それが蓮にとっていいことかどうかはまた別だし、しかも今回のケンカの原因は、それこそ礼子の知らない朋久の「想い」の部分だ。
「まぁ、当人同士でしかわからない事情もあるのかもしれないけど、でもどうせ仲直りするんだから早い方がいいじゃない」
そういって礼子はキッチンに向かった。
「え……」
蓮が心の中で呟いた反論が聞こえたのかと思って、ドキっとした蓮は思わず口を押さえた。
その時――
「ただいまー」
玄関でずっと待っていた声が聞こえた。
ハッとして慌てて玄関に向かうと、そこにふーっとため息を吐きながら言いながらブーツを脱ぐ朋久の姿があった。
「あ……ごめん、遅くなった」
「お、お前今までどこに行ってたんだよっ! 連絡もしねーで!」
開口一番で謝ろうと思っていたのに、もしかしたらもう帰ってこないかもしれないと、ずっと不安を持ちながら待っていた気持ちが先行して怒鳴ってしまった。
「悪ぃ。ちょっと色々あって……」
まだ昨日の事を怒っているか、蓮と目を合わせようとせず、歯切れが悪い言葉でポリポリと頭を掻きながら朋久は玄関を上がる。
「色々ってなんだよ。メールくらいいつでも――」
「もう、蓮! なんであなたはそうすぐ怒るのっ」
そんな態度の朋久に苛つき、さらに怒鳴る蓮の頭を後からやってきた礼子がコツンと小突いた。
「あ、おばさん。ごめんなさい、遅くなって」
礼子の姿を見ると、朋久はスリッパを履きながら慌てて姿勢を正した。
「おかえりなさい。いいのよ、トモ君にも予定はあるものね」
そんな朋久に礼子がにっこり微笑むと、朋久はホッとしたように、顔の筋肉を緩めた。
「蓮からおばさんが待ってるってメールもらって、すぐ帰りたかったんですけど」
「あら、ありがとう」
――なんだよ、母さんにはいい顔しやがって。
その態度に蓮はさらにカチンとした。
メールは見ていた。
それなのに返信をしなかった。
すぐでなくても帰ってくる道中でも、一言だけでも返信してくれればよかったのに、それだけで安心出来たのに、それを朋久はしなかった。
あまり自分から朋久へメールをする事はないが、それでも今までこんな事なかった。
――メールを無視するなんて――
怒りを通り越したのか、それとも別の感情なのか急に悲しくてたまらなくなった。
朋久を睨みつける力もなくなり、蓮は目を伏せ朋久のスリッパを見つめた。
――そんなにイヤだったのかよ……
自分では大したことないと思っていた些細な事だったが、朋久にとっては耐え難い事だったのだ。
自分のしたことは。
「俺ちょっと着替えてきますね」
「あ、ちょっと待ってトモ君」
自室の2階に向かおうとする朋久を、礼子が引き留めた。
「はい?」
「今日はおばさんがご飯作るから、ゆっくりしてきていいわよ」
「は?」
「っ!」
礼子の言葉にドキっとして蓮は顔を上げ、礼子を見つめた。
礼子は蓮と目を合わせるとにこっと笑った。
「仲直りしてみんなで仲良くご飯食べましょ。ね、蓮」
礼子の言葉と「え?」っと言って自分の方に向けた朋久の視線に蓮の顔が一気に熱くなった。
「トモ、ちょ、ちょっと部屋来いっ」
二人の視線にいたたまれなくなった蓮は、そう言うと逃げるように階段を駆け上がった。
「なぁ蓮。仲直りって……おばさんに何か言ったの?」
蓮が部屋に戻ってから、数秒遅れて朋久が戸惑いながらゆっくりと入ってきた。
背中でドアが閉まった音を聞くと、蓮は深く長く息を吸い、くるっと振り向き朋久と向き合った。
そして、「ごめんっ」と勢いよく頭を下げた。
「え??」
朋久の顔は見えないが、その声で戸惑っているのはわかった。
「お前がそんなに嫌がってるなんて思ってなくて。学校が違うっていうお前の気持ち、不安とか全然考えてなかった!」
「いや、あの、ちょっ、え?!」
「メール無視されて初めて気づいた。ごめん、本当ごめんっ!」
朋久相手だからか、それとも謝るような事はあまりしないせいか、「ごめん」と一言を言うだけなのに、かなり緊張するし恥ずかしくてたまらない。
だから一気に言ってしまおうと考えた。
勢いをなくしたらまた、可愛くないひねくれものの自分に戻ってしまう気がして。
「いやいや違うって! ちょっと待って!」
「でもお前今までメール無視するとかなかったじゃん! それんだけお前怒って――」
「だから違うって!」
しかし、その勢いを朋久が必死で止めた。
朋久は慌てたように蓮の両肩を掴みそう言うと
「わっ」
ぐいっと強引に抱き寄せた。
「ちょっともう、話聞けよ」
そのまま、強く抱きしめられた。
「違うの。メール、無視したんじゃなくて……お前に何言っていいのか悩んじゃって、わかんなくなって……」
「……え?」
「蓮は悪くない。だって俺が悪いんだもん。俺は悪いの。蓮は謝らなくていいんだ。ごめんっ」
「トモ……?」
腕の中の暖かさとその言葉に、蓮の力が抜けていった。
蓮の気持ちが落ち着いたのを察した朋久は、そっと蓮を解放し、蓮のベッドに腰掛けた。
「あのね……俺、涼が責められてるの見ててさ。蓮にひどい事言っちゃったんだって気づいたんだ」
ばつが悪そうな表情の顔を伏せ、視線を落としがら朋久はゆっくりと言った。
「涼って……高校のお前の……」
「そう、友達。今日さ、その涼に朝っぱらから彼女と揉めてるから助けてって呼ばれてさ」
何度か朋久が携帯で話をしている時にその名前は聞いたことがあった。
朋久の高校の友達――朋久が女の子と遊び出すきっかけになったという、朋久をチャラ男にした悪友。
「その喧嘩の原因って言うのがさ、涼が他の子としゃべってたって事だったんだよ。ほらさぁ、涼って今まで色んな女の子とっかえひっかえしてきた奴だからさ。だから信じられなくて当然だよなーって、彼女の気持ちがよく分かったんだ」
「……言いたい事がわかんねーんだけど……」
突然出てきた「涼」の話と、今まで話をしていた事が繋がらず首を傾げた。
「だから……涼は蓮と全然違うって話」
「は?」
蓮は、なぜそこに突然自分の名前が出てくるのか、朋久の言いたい事がますますわからず、思わず眉をしかめた。
朋久の話でしか知らないが、女の子が大好きでしょっちゅう女の子と遊んでいるような軽い男と、なぜ自分が比べられるのかわからない。
どこをどう見ても正反対にしか見えないのに。
「涼がどんなに否定しても彼女信じられないって泣くんだよ。涼、逆ギレしちゃって。"そんな信じられないヤツといて楽しいの?!”って言って。んで俺ハッとして、蓮の事思い出した」
「……え、それなんでそこで俺が出てくんの?」
「だからー。俺、蓮の事信じてないわけじゃないんだよ。蓮は優しいけど、優柔不断なんかじゃないの知ってる。ずっと一緒にいたんだもん。そんなの俺が一番よく知ってるのに。……なのに俺が言った事って蓮の事信じてないって事じゃん……」
――あーそういう事か……
ここまで来てようやく話の意味を理解した。
朋久の話は回りくどくて、伝わりにくい。
でも、朋久は一生懸命話をしている。
「誰とも口を利かないなんて出来るわけないのに。なのに……変な事言ってごめん。……本当にごめんなっ」
そう言って一度頭を下げると、スクッとベッドから腰を上げた。
そして蓮の前に歩み寄ると、
「俺、蓮の事信じてるから。だから……昨日の事忘れて。ごめんなさいっ」
再び頭を下げた。
――トモは本当いつもストレートだな……
朋久は素直だ。
わがままだし、ちょっと束縛したがりで嫉妬深いところもあるけれど、自分の心に素直だ。
素直すぎて言いたいことを言ってしまうだけで、そこに悪意はない。
そんな事わかっているのに。
「俺も……ごめん。言い過ぎた」
「蓮……」
「聞き流せばよかったのに……ムキになって……ごめん」
朋久が本気で怒っていると思ったら、悲しくなった。
どうせ朋久が折れてくれると思い込んでいた自分に腹が立った。
甘えすぎだ。
なのに自分はいつも思ったことと反対のことを言って朋久を困らせている。
朋久ならわかってくれると思って、朋久が自分から離れるわけないと思って、わがまま放題していた事に気がついた。
母親にケンカの原因が自分だと思われても仕方ない。
「えーと……じゃぁ……あの、仲直り……しねぇ?」
「へ?」
ケンカの原因は朋久だけど、自分にも非はあるし、今回は自分から「仲直り」をしないとダメだと思った。
ふーっと小さく息を飲むと、蓮はがばっと勢い良く朋久に抱きついた。
「わっ! え、蓮?!」
色気もムードもない抱きつき方だと思ったが、そこはしょうがない。
こんな顔朋久に見られたくないから、とりあえず隠したかった。
「えっと、まだご飯まで時間あるし……だからその、ちょっとだけなら……」
朋久の肩に顔を埋め、恥ずかしさに体が震えてしまいそうになりながら、必死に言葉を選び紡いだ。
「え?! それってもしかして」
蓮の言葉に驚いた朋久は、蓮の肩を掴むと体を押し真っ赤にしてる顔を覗き込もうとした。
慌てて蓮は顔を背けるが、もうここまで言ってしまったのだから取り繕っても仕方ないと、勢いに任せ言葉を続けた。
「お、俺だってその、それなりに寂しかったっというか、だってお前なかなか帰って来ねーから不安になるってゆーか、だから――っ」
――が、語尾は朋久に飲み込まれた。
さすがに躯を繋げるところまでは出来なかったが、ご飯だと礼子呼ぶ声が聞こえるまで、二人はずっと躯をくっつけ
て離れなかった。
二人でリビングに行った時の、礼子の笑顔がいろんな意味で蓮の胸に突き刺さった。
朋久がいつも以上にご機嫌だったからなおさら……。
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