そんな一方的な友達付き合いを続けて半月後の七月上旬の土曜日。
隼人の試合を観に行った帰り、家のあるマンションの入り口で佇んでいる人影が見えた。
「え、蓮?」
まさかと思いながら恐る恐る名前を呼ぶと、
「トモ!」
蓮はハッと振り返り、慌てて走り寄って来た。
あれだけ自分を避けていた蓮が突然目の前に現れた驚きと同時に、中学に上がってからずっと他人行儀に「松戸」と呼んでいたのに、昔のように「トモ」と呼んだ事にドキッとした。
「蓮、え、どうした?」
自分に向かって走ってくる蓮の姿にドキドキしながらそう問うと、
「小木っちゃんが怪我したって本当?!」
震える声で叫ぶように言った。
「え――?」
「今日試合で怪我して動けなくなったって聞いて――」
切羽詰ったような表情の蓮にビックリするが、
「あ、あぁ。うん。相手と接触して。今まで俺付き添ってたんだけど、捻挫だって。歩けるしたいしたことなさそうだよ」
今日の試合で隼人が怪我をした事を聞いて、わざわざ心配して来てくれたんだという事がわかり、自分の知る情報を伝えた。
「なんだ、そっか……よかった……」
俺の説明を聞いて、蓮は肩を撫で下ろし心底ホッとしたような声で呟いた。
「蓮……」
何故だろう。その蓮の表情に胸がきゅっと痛んだ。
「……なんだよ、やっぱり隼人の事嫌いなんかじゃないんじゃん……」
「え?! あ……いや……」
思わず呟いた台詞に、突然蓮が視線を泳がせた。
「あ、あれだよ。友達が小木津の事すげぇ心配してたから。……そ、それだけだから。もうわかった。サンキュ」
「あ、蓮!」
一気にそう捲くし立てると、蓮は逃げるように去っていった。
「……」
違う。嘘だ。
蓮が、蓮自身が隼人を心配してわざわざウチまで来たに違いない。
やっぱり嫌ってなんかいなかった。
昔のように俺を「トモ」と呼び、隼人を「小木っちゃん」と呼んだ。
昔のように自然に――。
……でもなんだろう。嬉しい筈なのに、実際嬉しかったのに――ちっとも気分が晴れない。
俺の事を見て、俺に向かって走ってくる蓮に心を踊らされた。
それなのにそれが隼人の件だと知った瞬間、俺は確実に落胆した。
俺の話を聞いてホッとした蓮。
蓮にあんな表情をさせる隼人に、正直嫉妬した。羨ましかった。
なんだろう、すっげーもやもやする。
昔のような関係に一歩近づけたと思える出来事のはずなのに、その夜は食事も喉を通らなかった。
*****
それから一ヶ月後の夏休み――。
「よッ」
何年か振りに俺は隼人の部屋を訪れた。
「……何だ、トモか。何? 何か用?」
隼人はベッドに寝転んで雑誌を読んでいた。顔を出した俺の顔をチラッと見ると、不機嫌そうに呟き再び雑誌に視線を戻した。
「足、どうかなって思って。試合にも来なかったって言ってたからさ」
「こんな足で行って何すんの? 虚しくなるだけじゃん」
そう言って自嘲的な笑みを浮かべる隼人の左足首には、包帯がグルグル巻かれていて、ベッドの側には松葉杖が置いてあった。
先月――俺が蓮に会ったあの日――試合中に相手選手と接触して足を負傷した隼人は、会場近くにあった診療所に駆けこんだ。
そこで「捻挫」と診断された患部は、湿布と包帯だけで軽く固定しただけの処置で終わった。
痛がってはいたが歩ける状態だったので、隼人もチームメイトも誰もその診断を疑わず、すぐに治るだろうと安心しきっていた。
しかし、一向に良くならず逆に日に日に痛んでくる足。
次の試合まで日にちが迫り、焦った隼人は念のため別の病院で診察を受けた。
そこでまさかの「靭帯断裂」の診断を受けたのだった。
靭帯が切れて安静が必要な状態。全治一年。もちろん試合には出ることは出来ない。
それどころか、治っても元のようにサッカーが出来るようになるか分からないと宣告されたのだ。
「……でももう歩けるんだろ? な、ずっと家にいるのも暇だし、ちょっと出ない?」
「ヤダ。暑いし、痛いし、面倒くせぇ」
ショックを受けた隼人は、そのままフェイドアウトのような形で部活を引退。
リハビリも途中で投げ出し、そのままほとんど家から出ずに引き篭もりのような状態になってしまった。
「イトコの野球チームがさ、決勝戦まで行ったんだよ。一緒見に行かねぇ? 親父が送ってってくれるから、足辛くないだろ」
「野球かよ。興味ねぇし行きたくねぇ」
外が好きな隼人なのに、この夏ずっと家にいる。
チームメイトだった友人が心配して家に行っても会わない隼人の様子を、幼なじみで親友の俺に見てきて欲しいと依頼があったのだ。
「えーどうせ暇だろ? 家の中にいてもだらけるだけだしさー。行こうよ」
ずっとサッカー一筋だった隼人を見て来た俺としても心配だったし、ちょうどイトコの試合にかこつけて、とりあえず部屋から出そうと誘いに来たのだが。
「うるせぇよ。興味ねぇって行ってんじゃん。出てけよ」
「隼人……」
今まで自分にこんな冷たい口調で話す隼人を見たこと無かった。噂以上の隼人の荒れっぷりに、思わず言い淀む。
部屋の空気の重さに、居たたまれなくなっていると、
「出てくのはあんただよ、もうホントウザイ」
「あ、ひーちゃん」
隼人と双子の姉、仁美が部屋に入ってきた。
「姉ちゃん!」
その姿を見て隼人が慌てて姿勢を正す。
今は私立の女子中学に通っている仁美は、身長も体形も隼人とほぼ同じ二卵性双生児。
しかし性格は対照的に仁美は昔から勝気で荒っぽい性格で、女の子でありながら近所のガキ大将的存在だった。
双子と言っても隼人は男だから成長したら立場が変わりそうなものなのに、未だに隼人は仁美に弱く、苦手だった。
「いい加減鬱陶しい。トモ君、ソレ外連れてって」
読者モデルをしている可愛い容姿に似合わず、仁美は物凄く冷たく言い放った。
実は隼人と一緒に幼少の頃から何度も仁美に泣かされていた俺も、未だにこの冷たい口調には怖くてドキドキしてしまう。
「あ、う、うん。隼人、ひーちゃんの命令だから……な、行こうっ」
「……わかったよ……」
しかしその仁美の助け舟で、ようやく隼人が重い腰を上げてくれた。
「つまんねー試合だったらすぐ帰るからな」
「はいはい」
その外出が、まさか後々面倒臭い最悪の事態を引き起こすなんて、その時の俺は想像もしなかった。