俺が蓮の気持ちに気が付いたのは、高校受験シーズンに突入のした十二月の事だった。
「ほんとだ。隼人がベンキョーしてる……」
図書館で勉強をしている隼人の姿を見て、俺は目を丸くした。
隼人の事だから志望校は無難に受かりそうな高校にし、受験生のくせに推薦組と一緒に世間のクリスマスムードに乗って、お気楽に過ごしているのかと思っていた。
それなのに、隼人が本気で勉強しているという噂を耳にした。
まさかと思って半信半疑で放課後図書室に行ってみると、本当に数学の問題集を広げて勉強している隼人がいたのだ。
隣には学力テスト学年3位の同級生。
確か、蓮の妨害にあって別れた二番目の彼女だ。
――元カノを家庭教師にしてまで?
隼人の本気具合に驚いていると、
「うるせぇな。仕方ねーだろ、学力足んねーんだから」
驚かれたのが不本意だと言わんばかりに、隼人は面白くなさそうな顔をした。
「えー? そんなに勉強してどこ狙ってんだよ」
「喜多川だよ」
「え? 喜多川ぁ?」
意外な答えに思わず聞き返してしまった。
喜多川は可もなく不可もなくと言った、特徴もない平凡な公立高校だ。
特にレベルが高いわけでもないし、サッカーが強いわけでもない。というか、スポーツ全般弱小と言われる学校だ。
しかも電車で通わないとならない距離で、そんなに必死に勉強してまで行きたがる理由がない。
喜多川に行くなら、ちょっとレベルを下げた堀高校の方がスポーツもそこそこ強いし、家からも近い。
学力を上げるために必死に勉強するような高校ではない。
「なんでまた」
「なんでって……お前理由知ってるだろーが」
素直に不思議に思ってそう尋ねると、急に隼人は顔を赤らめた。
――え? 何その反応!?
「え、トモ君知ってるの? 何回聞いても隼人理由教えてくれないんだよ。ね、教えてくれない?」
隣にいた元カノが不満げに聞いてくるが、そんな理由知るわけがない。そもそも今初めて志望校を聞いたのに。
「いや、俺知らねーけど……」
「トモ君もしらばっくれるの? ……あー、やっぱり女なんだ。そーでしょ?」
慌てて首を振ると彼女は俺が隠しているんだと思ったようで、一気に不機嫌な顔になった。
「ちげーし。別にお前には関係ないだろ? そもそも俺ら終わってるじゃん」
「そう……だけど……」
隼人がそう言うと彼女は声を落とした。
確かに、隼人を追おうとしても学年3位の才女である彼女が中途半端な公立の喜多川に行く事はまずない。
しかし自分も受験生なのに、別れた隼人の勉強を見てくれているなんて絶対未練があるとしか思えない。
隼人は夏前にそれまで付き合っていた子と別れて、今フリーだからなおさら元鞘を狙っていたんだろう。
それなのにあからさまに隼人に「関係ない」「終わっている」と言われ、さすがに可哀想に思えた。
「お前勉強見てもらってんのに、そーゆー言い方さぁ〜」
「もーお前うるさい。後でお前んち行って説明するから、もう帰れよ」
彼女が不憫になってついフォローしようとしたら、勉強を邪魔された隼人に邪険にされ、図書室を追い出されてしまった。
急に真面目になった隼人に面食らっていたが、その夜約束通り俺の部屋にやって来た隼人に話を聞いて、また目が丸くなった。
「綾瀬ってあのこの前の野球の?」
「そうだよ。アイツの志望校わかったからさ、俺も同じ高校行こうって思って」
「それが喜多川……」
ため息しか出なかった。
今年の夏、イトコが所属している野球チームが決勝まで行ったからという理由をつけ、怪我で腐っていた隼人を無理矢理試合を観に連れ出した。
その時、隼人の目を釘付けにした選手――それが綾瀬というショートを守っていた小柄な選手だった。
その綾瀬が喜多川高校に行くと知って、隼人も喜多川を志望校にしたというのだ。
「マジで……?」
「おう、マジもマジ。俺絶対アイツと仲良くなってやるんだ」
確かに隼人はあの綾瀬という選手に拘っていた。
すごく巧い選手だった。
野球のことよく知らない俺でさえその動きに無駄がない事はわかったし、毎回打球が狙ったような微妙な場所に落ちたりして、すげぇ〜〜と思わず呟いたくらいだ。
でもだからと言って、なんで野球に興味がなかった隼人がそこまであいつに拘るのだろうか。
「なぁ、アイツの何がそんなにお前を動かすんだ? 一緒の高校行こうとするまでさぁ」
「んーなんかわかんねーけど、アイツは特別なヤツだと思うからかな」
「特別? 何が?」
「よくわかんないけど、オーラってゆーの? なんかキラキラしてて、なんかすげー目を惹くプレーしたじゃん。他にも巧い選手いっぱいいたけど、あいつだけ特別キラキラしてた。だからアイツきっとすげぇヤツだと思うんだ。だからもう一度サッカーをやろうと思えるヒントを、アイツが持ってる気がした」
「……お前の目がキラキラしてるぞ」
こんな風に隼人が嬉しそうに他人を語るのは、好きなプロサッカー選手について語る時くらいだ。
どんなに仲がいい友達の話でも、ましてや彼女の話をする時でさえ、こんなにキラキラした目で話はしない。
中学に入ってからは特にサッカー以外には、興味ゼロというくらいどこか冷めた感じのヤツだったのに。
「はぁ〜〜。なんか変わったな。ってゆーか、昔のお前に戻った感じ」
目の前にいる隼人は小学校の時のような雰囲気で、嬉しくなる。
「そうか?」
あんなに腐っていた隼人を立ち直らせ、ここまで変える綾瀬というやつに、俺もちょっと興味を持った。
「しかし、よく分かったな。志望校なんて」
「うん、お前のイトコのおかげ。調べてくれたんだ。だから信頼性はある」
嬉しそうににっこりとそう言った。
「え? あーアイツ経由か……」
思い出した。
そういえば試合を見た後、隼人はチームメイトのイトコに綾瀬の情報を聞いてくれとしつこく頼まれた。
最初は面倒臭いと思ったが、あの試合の後、あんなに腐っていたのが嘘のように隼人が立ち直り、以前のように明るくなってくれたのが嬉しくてチームメイトだったイトコに聞いてみた。
すると、偶然その姉が綾瀬と同じクラスだという事が判明。
イトコ姉は俺と同じ歳だが、あまり俺とは接点がない。
中継するのも面倒だと、事情を話し隼人を紹介したのだった。
俺よりも隼人とやり取りした方が絶対上手く行くと思って。
隼人を紹介した事で役目が終わり、すっかり忘れていたがどうやら隼人はそのイトコ姉とあっと言う間にメールをする仲になったようだ。
で、綾瀬の情報を仕入れた。
――アイツ隼人に惚れたな……。
面倒くさがりな印象のイトコ姉が、隼人の為にそこまでしたと聞いて思わずため息が洩れた。
――でも、どんなに隼人の為に頑張っても、隼人は綾瀬に夢中なわけで。
隼人に振り回される不憫な女子(犠牲者)が身内にも出たか。
あとでフォローしておかないととばっちりを受けそうだ。
「お前さぁ、自分に好意のあるヤツをいいように利用すんの、いい加減やめねーといつか刺されるぞ」
元カノにイトコ――他にもきっとたくさん犠牲者はいるだろうと思い、一応親友として苦言を呈するが、
「え? 何だよそれ」
隼人は何を言われているのか分からないといったような顔をした。
「……天然なのかよ。性質(たち)悪っ」
「はぁ? 意味わかんねーしっ」
この隼人の天然のタラシっぷりに、まさかすでに自分も巻き込まれているなんて俺は全く気付いていなかった。
*****
そしてその数週間後――冬休みが始まり、さすがに自分も勉強を始めないと、と立ち寄った本屋で俺は偶然蓮に会った。
「おう、蓮!! 久しぶりじゃん。何してんの?」
迷わず声を掛け、バシッとその背中を叩いた。
部活を引退した後は倉庫で会うこともなくなり、また俺には一つ年下の彼女がいたので、蓮を待ち伏せて一緒に帰るなんて事も出来ずになかなか話す機会がなかった。
だから久しぶりに会えた喜びと小学校以来の私服姿の蓮を見た新鮮な気持ちに、一気にテンションが上がった。
「……参考書選んでるに決まってるだろ」
相変わらず蓮は仏頂面で、ため息と一緒に面白くない台詞を吐く。
「お前どこ受けんの?やっぱ野球強いトコ?」
「……お前には関係ないだろ」
「いーじゃん。減るもんじゃないしー。俺磯工。あそこなら近いし安全パイかなって。で、お前は?」
本当に軽い気持ちで聞いた。
一緒の高校だったらいいなと思ったが、テストの結果を見る限り蓮は自分より遙かに上の成績だ。
野球部の成績では推薦は難しくても、蓮の成績なら一般でも充分私立の強豪校を狙える。
きっと追いかけて行く気にもならないような高校に行くのだろうと、そう思っていた。
しかし――。
「……喜多川だよ」
蓮の答えに一瞬耳を疑った。
「……え? 喜多川?」
「……なんだよ、なんか文句あんのか」
「いや……だってお前ならもっと上狙えるだろ……」
「俺の勝手だろ」
一層不機嫌な声になる蓮に俺は頭が混乱していた。
「は、隼人も喜多川行くって言ってたから……」
「あ、あぁ、そう。偶然だな。あーじゃ俺は帰るから」
隼人の名前を出した途端蓮は急にそわそわし出し、俺から逃げるように手に持っていた参考書をレジに持っていった。
「蓮?!」
これは本当に偶然なのだろうか?
蓮ならもっと学力も野球もレベルの高い高校に行けるはず。
なのに何故喜多川?公立だってもっといい所はたくさんある。
どう考えても、隼人を追って同じ高校に行こうとしているとしか思えない。
隼人が喜多川を目指していることくらい、同級生の女子なら誰だって知っている情報だ。 一緒の高校を目指す女子も多いらしい。
「蓮……?」
隼人の名前を出した途端、逃げるように去る蓮。
夏、隼人が怪我をした時もそうだった。
図星を指されると途端に逃げる。誤魔化す。
隼人を嫌いだと言った蓮に「そうは思えない」と、「あえて絡みたがっているように見える」と言った時もそうだった。
蓮は誤魔化して逃げた。
「もしかして蓮……」
まさかという考えが沸いた。
ドキドキと胸が鳴る。
――そんなバカな。いくら隼人が男前だと言っても、蓮も隼人も男だぞ?
しかし――。
急に変わった態度。俺へというより隼人への態度が極端に変わった。
あの時だ。
小学6年の冬――最後のお泊り会。あの後から蓮はおかしくなった事はわかっている。
あの時に何があったか、今まで何百回と思い起こした。
でも今までずっと、あの時蓮を怒らせるような出来事があったかどうかしか考えていなかった。
違う。逆だったんだ。
きっと隼人の事だから、何かしてるか、言っているに違いない。
蓮が、本気で隼人の事を好きになってしまうような何かを――――。