午後9時――30分程待って、ようやく来た。
「よう。お前帰り遅いんだなー。もうとっくに帰ってると思ってた」
寄りかかっていた外壁から背中を離し、近づいてくる影に向かって軽く片手を上げた。
「……何してんだよ、人んちの前で」
俺に気が付くと、蓮は嫌なものを見たとでも言うようにあからさまに眉を顰めた。
「もうお前と会うことないと思ってたけど」
視線を合わせようとはせず、蓮は冷たく突き放すようにそう言うと門を開け中に入った。
「なんだよー。心配して来てやったんだぞ」
そう言いながら蓮の後を付いて行くと、
「お前に心配される覚えねーよ。つーか、何勝手に入ってきてんだよ。帰れよ」
一緒についてくる俺を制止ながら、蓮はカバンから玄関の鍵を取り出した。
「えーだって入ってきたんだろ? ライバル。蓮が落ち込んでないかなーって思って」
「は? 何の話だよ」
「綾瀬和哉君。隼人の友達に今までいなかったタイプだよね」
「っ!」
その名前を出した途端、鍵を回そうとした蓮の動きが止まった。
「お前……」
そしてゆっくりと振り返った。
「何か……知ってるのか?」
その表情に、俺は蓮が網に掛かったと確信した。
「んー、とりあえずさ。こんなトコじゃなんだから、中で話さね?」
にこっと微笑みながら玄関を指すと、蓮は一瞬考えるように目を泳がせると小さく舌打ちし、黙って玄関のドアを開けた。
家に入る前に、視線で促すように俺を見て――。
****
「久しぶりだな、お前の部屋。小6以来か」
五年振りに入った蓮の部屋は、あの頃のままほとんど変わってなかった。
変わったところと言えば、カレンダー、そして飼い猫の姿くらいだ。
「おーイチロー! お前ずいぶんでかくなったなぁ〜」
ベッドの上で丸くなって寝ていた大きな猫のイチローに近寄るが、イチローは「ウザイ」という視線を投げ、のそのそと部屋を出て行った。
「なんだよ、命の恩人に対して冷たくねぇ?」
イチローは、小学校5年の時俺が拾った猫だ。蓮の家に行く途中の側溝の中で、淋しそうにか細い声で鳴く子猫を見つけ、放って置く事が出来ずに二人で助け出した。
「だってお前はただ助けただけだろ。お前の事なんて覚えてねーよ」
呆れるように蓮が呟く。
「そうだけどさぁ。あんなに可愛い子猫だったのになー」
助けたはいいが、うちはペット不可のマンションで飼う事が出来ない。
なので、蓮と一緒におばさんを必死で説得して、イチローを飼う事を許してもらった。
中学から疎遠になったので、イチローの姿もそれ以来見たことがなかった。
だからイチローがまだ元気に蓮の側にいるのがわかって、すごく嬉しかった。
あの頃と今の俺達を結ぶ、大事な猫だ。
「……何もかも懐かしーなぁ。相変わらず几帳面だし」
本棚もあの頃のまま、一巻から綺麗に漫画が順番に並べられている。
人差し指でずっとなぞっていくと、一つ、三巻が抜けている漫画があった。
「あ、このマンガ――」
止まった指先の背表紙を見て、思わず声が出た。
「お前が借りていったっきり返してくんねーから、三巻だけ抜けてんだよ。早く返せ」
乱暴にエナメル鞄を床に置くと、蓮がぶっきらぼうにそう言った。
「あーそうだっけ。今度持ってくるな。ついでに四巻貸して」
笑いながら四巻を鞄にしまうと、蓮も「ちゃんと返せよな」と呟いた。
当たり前のように「また会う」約束を交わす。自然な会話の流れに、離れていた年月があっと言う間に埋まっていく――そんな感じがして、俺は心なしか高揚した。
だからかもしれない。
「で? お前は何を知ってんだよ」
腕と足を組んで椅子に座り、高圧的な態度を取る蓮をなんだかとても可愛く感じた。
「ん? えっとー、お前の気持ちと、隼人の気持ちと、俺の気持ち」
俺はもったい付けるように一本一本指を広げながらそう答え、蓮と向かい合うようにベッドに腰掛けた。
「は?」
予想通り不機嫌そうに眉をしかめる蓮の顔を見てふっと微笑むと、俺は人差し指を立てそう言った。
「じゃぁまず一つ目。お前が隼人の事好きなんだって事でしょ」
俺的にはにっこり笑ったつもりだったが、蓮の目には「にやり」と笑っているように見えたのかもしれない。
「な……っ」
途端に蓮の表情が固まった。
感情を表に出しやすく、嘘が付けないところは昔と変わらない。
「今時さぁ、好きなヤツいじめるのなんて流行らないぞ」
「だ、だから……何言ってんだよ……俺はアイツが嫌いで……」
視線をキョロキョロと泳がし、何度も足を組み替える。
明らかに動揺しているそんな態度と、張りのない声。
それでも必死に、蓮はなんとか誤魔化そうとしていた。
俺の言っている事と――自分の中の隼人への気持ちを。
でももう誤魔化して欲しくなかった。認めて楽になって欲しかった。
「隼人のこと好きなんだろ? お前の親友を自負してた俺の目、なめんな。お前がずっと隼人を見てたのも、キタ高選んだ理由もわかってんだよ」
そう言って俺は笑顔を消して、真っ直ぐに蓮を見つめた。
「……トモ……」
その視線を感じてか、一瞬目を合わせた。
すぐに目は反らされたが、そわそわしていた蓮の動きは止まった。
「だから、隼人が野球部と関わっていくって聞いて、しかもまだお前が隼人とやり合ってるって聞いたらさ、我慢できなくなって。もういいだろう?いい加減隼人の事見切りつけろよ」
想いを伝える気もない。仲良くしたいはずなのに怖くて近づけない。でも縁は切りたくない。ならいっそ嫌われている方がいいなんて。
そんな不毛な恋を終わらせて欲しかった。
「そんなの……お前に関係ないだろ……」
何年も抱えてきた想いなんだ。
簡単に諦められないものだという事はわかっている。
だから――。
「隼人、マジで好きな相手いるんだぞ」
「え?」
現実を突きつけてやった。
「最初に言ったろ? 綾瀬和哉君。アレが隼人の片思いの相手なわけ」
「えっ?!」
さすがに驚いたのか、ずっと目を反らしていた蓮が顔を上げて俺を見つめた。
「まさかの展開だろ。あんだけの男前で、今まで来るもの拒まずでいい加減な恋愛しかしてなかったアイツが、まさか男に走るとはねー。でも綾瀬君にはかなりマジらしいんだよ」
これから先も、あの隼人が蓮の気持ちに気がつく事などまずありえない。そしてそのうち、隼人は蓮以外の誰かのものになる。
「ヘラヘラのろけちゃってさー。俺もあんな隼人初めて見たよ。いやーすげー面白かった。あ、これ二つ目」
隼人が夢中なだけで、綾瀬君とうまく行くかどうかはわからない。
男同士の恋愛なんて、上手く行く方が奇跡だと思う。
でも誰もが惚れてしまうあの隼人の事だ。
もし奇跡が起こってうまくいってしまったら――それが蓮のすぐ側で、蓮の目の前で、隼人が他の人のものになってしまうなんて――それはあまりにも辛すぎる。
だからもうやめて欲しかった。諦めて欲しかった。
「だから隼人の事、もう諦めろよ。いい事ねーぞ」
「……お前には……関係ない……」
それでも、再び蓮は視線を落としてそう呟いた。
意地になっているとか思えない。頑固なのも相変わらずだ。
「……甲子園連れて行く約束だって、アイツ覚えてねーぞ」
ため息混じりにそう言うと、蓮が驚いた顔をして俺を見つめた。
「お前……覚えてたのかよ……」
目を丸くし、震える声で蓮が俺を見る。
「なめんなって言ったろ? お前との事は全部覚えてるよ。てか、お前のことばかり考えてたら思い出した」
やっぱりもう限界だな。
「トモ……」
3つ目――言うべきか言わないで置くべきか悩んだ。
しかし、これ以上上辺だけで何を言ってもコイツは聞きはしないだろう。玉砕してボロボロになるまで、きっと意地でも隼人を好きでい続ける。
本当にバカなヤツだ。
だから、もうこうなったら本音を言うしかない。
「俺もお前等と同じ」
ため息を深く吐いて、そしてじっと蓮を見つめた。
「俺、お前が好きなんだ。だからもう隼人の事でお前に辛い想いして欲しくないんだよ」
「……へ?」
蓮は一転してポカンと目を見開いた。まぁ当然だろう。
自分自身でもココに来るまでに、蓮を待っている間に何度も何度も自問自答を繰り返した。
でも、結果は変わらなかった。
隼人への気持ちをすべて自分に向けてほしい。ずっと見てきたこの気持ちに気付いて欲しい。
「蓮の心から隼人を追い出したい。だからもう諦めて欲しいわけ。そんで代わりにそこを俺でいっぱいにしたい。それが三つ目。俺の気持ち」
そう言って俺は精一杯、爽やかに微笑んだ。
これでも中学時代は、隼人に次いで男前だと言われた。今だって結構モテる。対女の子には必殺の微笑みだけど。
――きっと蓮には「にやけてる」ようにしか見えないんだろうな……。