「トモォー。今日カラオケ行かね?」

 放課後になると、よく遊んでいた悪友が声をかけてくる。その周りにはいつものメンバー、いかにも軽そうな見かけの男友達が手を振ってた。

「なんと! 砂女と合コンだぜ☆ 行くだろ?」
「あー、悪ぃ。俺パス」
「えーなんだよぉ。最近付き合い悪ぃなぁ。トモ来ると女の集まりいいんだよ。頼むよー」
「悪いな! じゃ、急ぐから!」

 必死に頼み込む悪友をよそに、そう言うと俺はあっさりと背中を向けた。
 ほんの10日前までこの手の誘いを断ったことはなかった。
 そこそこモテたし、彼女が欲しかったわけではないので特定の子を作らず適当に遊んでいた。
 それなのにかなり俺の生活パターンは一変した。
 まっすぐスーパーに寄り、夕飯の買い出しをしていそいそと帰る――蓮の家に。
 蓮の家にお手伝いとして居候を初めて10日。
 まず蓮の練習着を中心に洗濯。そして夕飯作りをやっている。
 洗濯も料理も、最初は失敗ばかりで実家に助けを求める事も多かったが、ようやくまともに出来るようになった。
 料理のレパートリーもかなり増えた。
 ついでにネットや本で栄養価なども勉強しながら、バランスのいい献立を心がけている。
 あまりに頑張りすぎて、たまに帰ってくるおばさんに恐縮されてしまっているが、全く苦はなく逆に家事が楽しくなった。
 蓮の家に帰る放課後が、カラオケよりも合コンよりも、ずっと心が躍った。
 最初は何かにつけブツブツ文句を言っていた蓮も、1週間経つとさすがに諦めたらしく最近では何も言わなくなった。

「あ、美味い……」

 それどころか、夕飯にちゃんと感想を言ってくれるようになった。

「マジで? よかった。じゃーそれ、レパートリー入れとくな」

 定位置となった蓮の向かいの席で、パクパクとテンポ良く夕飯を食べる姿を見ながら俺は一人幸せを感じていた。

「うん。俺、これ好きだな」

 相変わらず手放しで「美味しい!」と褒めてくれるような笑顔ではないけれど、それでも目を丸くして感心しながら完食してくれる。
 ペロリとご飯を平らげる姿が、こんなに嬉しくて愛おしいなんて初めて知った。

「ごちそうさま。今日はまぁ合格だな」
 
 美味いといって完食しても上から目線。いつでも偉そうなそんな蓮の天の邪鬼っぷりに頬が緩む。
 好き嫌いが意外と多いのでダメ出しする事の方が多いけれど、それでも最初の頃のムスッとしっぱなしの蓮に比べれば、すごい変化だ。

「じゃぁ、今日こそキスしていい?」
 
 久しぶりに「合格」が出たのが嬉しくて(たいていは何もなし)、浮かれた俺はウキウキしながら蓮の隣に座り直した。

「そ……それとこれとは別だろっ」
 
 しかし、蓮は真っ赤になって慌てて食器を片づけ始めた。

「えぇー。なんだよ。俺さーずっと食事代もらってねーんだけどー」

 実は同居生活を始めてから、期待していた蓮とのスキンシップはお預け状態だった。
 最初のキスで警戒してしまった蓮は、常に俺一定の距離を保っている。
 すぐカッとなる性格を利用しようと蓮を煽ってみるが、見事に必要以上に近づかない。
 隙を狙っても上手く交わされ続けた。
 何が予想外って、たかがキス一つまともに出来ないことだ。
 今も俺が隣に座った途端、慌てて腰を上げた。

「ずるくね? 俺一生懸命作ったのにさー」
「ずるくねぇ! 母さんからちゃんとバイト料もらってるんだろ!? 過剰請求だ」
「あ、なんだ。バレてたのか」

 心情に訴えようとしたが、見事に返り討ちにされチッと舌を打った。
 居候になるからいらないと一度は断ったが、おばさんからどうしてもと言われ、食費の他に気持ちとしてアルバイト料をもらっている。
 さすがに「蓮に体で払ってもらうんで結構です☆」とは言えるわけもなく。
 ならばもっと頑張ろうと気合いを入れるために受け取ることにしたのだが。
 まさかこれがこんな障害になってしまうとは思わなかった。
 キスは食事代代わりの口実だったので、それがバレてしまうと強く出られない。

「いーじゃねぇかよ。キスくらい……」
「お前の魂胆はお見通しなんだよ、バーカ」

 作戦が失敗してふてくされた俺を見て、蓮が勝ち誇ったような顔でニヤッと笑った。
 そして、食べ終えた食器を持ってキッチンへ行く。

「……」

 そんなムカつく顔でも、俺に向かって笑ってくれたことを嬉しく思っているなんて、蓮は知らないんだろうな。
 満たされない欲求が蓄積していってるなんて。

「……魂胆ねぇ」
 
 そう一人ごちると、蓮の後を追ってキッチンへ向かった。
 食器を丁寧にシンクへ置く蓮の後ろ姿を見つめながら、すっとその背後に立つ。
 俺を負かせたという油断からか、久々に隙が生まれた。
 こうなったら、実力行使!

「お見通しのはずなのにさー、俺に背を向けていいの?」
「わっ! ト――」
 
 俺に気がついて驚き振り向いた蓮の唇を、がっつりいただいた。

「ん……っ」

 当然蓮は抵抗するが、こっちも必死だ。
 今まで自由に遊んできた俺が、10日もキス一つしないでずっと我慢してきたのだ。
 ムラムラ・欲求不満は最高潮。
 しかも、今度はいつ出来るかわからない。
 こんな抵抗に負けてたまるかと後頭部をがっちり押さえ、唇を重ねながら逃げようとする力を利用して蓮を壁に追い込んだ。
 頭を壁に押しつけ、空いた両手で蓮の両腕をしっかり掴む。
 蓮の方が腕力が勝っていても、上から押さえつけていれば充分抵抗を抑えられる。
 完全に俺のペースになったところで、10日分まとめてもらうつもりで深く口付けた。
 無理矢理唇を割り、舌を差し込む。

「……っ!」

 逃げまどう蓮の舌を自分の口の中に吸い込み絡めると、ゾワッと全身に痺れが走った。
 思いの外、蓮を欲していたらしい。夢中で蓮の舌を貪った。

「……ふッ、ん……っ」
 
 時折ビクッと震える蓮。
 抵抗できないよう強く握っている腕から、蓮の反応が直接伝わる度ゾクゾクする。
 熱い吐息一つ漏らしたくないと、もっと深く口付け隙間を無くす。

(やばっ、どうしよ、止まらね……っ)

 蓮が感じているのを知ると、キスだけの予定がどうしようもなく躯が疼いた。

 もっと蓮に触れたい――ぶっちゃけヤりたい――躯がどんどん熱くなる。

「ん……っんーッ」

 しかし、どんなに口腔内を蹂躙しても、ビクビク反応させていても、蓮はちっとも抵抗を止めない。
 腕の力が弱まらない。気を抜いたら完全に逃げられる。
 蓮の肌に早く触れたいと躯が訴えるのに、押さえた手が離せない。

(くっそっ。強情だなぁ……っ)

 女の子相手ならもう落ちているのにと、なかなか抵抗を諦めない蓮に焦りはじめた――その時。

「なぁぁーーーご」
「!?」

 背後で聞こえた猫の声に驚き、思わず手の力を緩めてしまった。

「っ!」

 次の瞬間腕を振り払われ、しまったと思ったと同時に腹部を蹴られた。

「うっ!」
 
 勢いで二、三歩後ずさりすると、痛みで躯を折りながら尻もちを付いた。

「〜〜〜っ」
 
 蓮はその隙に俺の脇をすり抜け、二階の自室に駆け込んだ。ドアを閉める大きな音が静かな家の中に響く。

「痛ぇ〜。あんにゃろ、本気で蹴りやがった……」

 腹の痛みを散らすように、何度か大きく深呼吸をすると、その場に大の字で倒れ天井を仰いだ。

(でも蓮のやつ、勃ってたよなぁ……。なんなんだよ)

 腹の痛みから考えると蓮は本気で嫌がっていた。
 けれどイチローが鳴く直前、足で触れた蓮の下半身は硬かった。
 感じていたのだ。俺のキスで。
 そう考えると、邪魔が入ったことが悔しくてたまらない。
 もう一度はぁーっと溜め息を吐いて、頭を抱えた。

「なーーーーーーご」

 そんな事を考えていたら、イチローが足元にすり寄り膝の上に前足を置いた。
 なかなか懐かないイチローが、唯一俺の元に来る時は飯の催促だ。

「イチロォー……邪魔するならもっと早く来いよ」
 
 ゆっくりと上半身を起こし、イチローの頭を撫ぜた。
 あんなに盛り上がってしまう前に来てくれれば、こんな気持ちにならなかったのに。
 そう恨めしそうにイチローを見つめるが、イチローは早くメシ寄越せと俺を見上げ、ただ「なーごなーご」と鳴くだけ。
 あのまま邪魔が入らなかったら、もしかしたら流れで最後まで出来ただろうか。
 それとも、結局蓮の抵抗に負けて、逆にボコボコにされていただろうか。

「どっちにしろ……やばいよなー……」

 どちらにしても、暴走してしまった事には変わりない。
 約束通りキス以上の事はしていないが、やりすぎたと思った。
 本気で蹴って抵抗するくらいに嫌がっていたのだ。
 明日から蓮はどんな顔で俺を見るのだろう。
 せっかく開きかけた蓮の心に、きっとまた鍵が掛かる。

「俺の……バカー……」

 やってしまったことを今更悔やんでも仕方ないが、自分の理性のなさが情けなくなってきた。
 こんな状態でも、さっきの唇の柔らかさと蓮の様子が脳裏で何度もリプレイされ、俺の下半身は未だ興奮状態。

「ホント……バカだ」

 メシの催促がうるさいイチローを無視して、俺は重い腰を上げてトイレに向かった。
 
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