退院の手続きがあったとは言え、母さんと一緒に帰ったのが間違いだった。

「だーかーら! まだ新人戦があるんだって!!」
「でもそれ秋でしょ?」

 蓮の家に帰る予定が、まっすぐ実家に連れて行かれた。
 どうせ近所だし、すぐに蓮の家に行こうと思ったが母さんに止められてしまったのだ。
 蓮の学校が負けた事によって、俺もお役ごめんとなったと思っていたらしい。
 
「だから、もうー! 秋の結果は春に繋がるし、すぐに来年に向かって準備が始まるの! 休んでる暇なんてないんの!」

 しかし、まだ蓮には来年だってある。
 今年は負けたけど、すぐに来年に向けて始動する。秋に好成績を納めれば、春の甲子園に行けるかもしれない。

「でも、今日くらい家にいてもいいじゃない。あんた一応頭打ってんのよ?」
 
 何度説明しても、とりあえず今日は家にいろと言い、部屋から出してもらえなかった。

「もう大丈夫だって言ってんじゃん!」
「いいから今日は家にいなさい! いいわね!」
 
 散々言い合ったが埒が明かないと思ったのか、そう言うと母さんは部屋を出ていった。

「母さんっ! ――っもうッ」

 落ちるようにベッドに腰掛けると、ため息を吐いた。
 心配する母さんの気持ちもわかるが、病院の先生はもう大丈夫だって言っていたし、だいたい頭の事を心配しているなら、こんなに怒鳴らせるなと思う。

 それに――蓮が待ってる。

 それでなくても昨日一人にしてしまった。敗戦で心寂しいはずの日に、側にいてあげられなかった。
 それを利用して、蓮にあえて自分を意識させようと余計な事も言った。
 だから余計に今日は会いたかった。

 会いたい。蓮に会いたい。

 どうにかして家を出てやると、こっそり扉を開けると、部屋の前にいる妹と目が合った。
 にっこりと微笑みながら、首を振る。

 「……チッ」

 どうやら母さんに雇われた見張りらしい。
 作戦を練るしかないなと、再度ベッドに腰をかけると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。

「電話?」
 
 メールでなく電話の着信に首を傾げながら、その発信者を確認するとドキッとした。

「蓮?!」

 慌てて出ると、

『トモ! よかった、無事なんだな?!』
 
 大音量で蓮の焦った声が聞こえた。

「へ?」
『なかなか来ないから、てっきりなんかあったのかと……』

 なんの事かと思ったが、時計を見て2時近くになっていたのを知ると、蓮の言っている意味がわかった。

「もうこんな時間だったんだ! わりぃ! 今実家。大丈夫だって言ってんのに、母さん家にいろってうるさくて。さっきまで喧嘩してたんだよ」
 
 昼頃に帰ると言ったのに、なかなか帰らない俺を心配してくれた蓮に慌てて謝った。
 帰って来てからずっと、家にいろという母さんと口論していたので時間に気がつかなかった。
 母さんを説得するのに必死で、蓮に連絡するという考えもなかった。

『なんだぁ……お前、もう心配させんなよ』

 安堵したせいか、いつもの口調の中に優しさと柔らかさを感じ、胸がきゅんとなる。
 昨日蒔いた種のせいか、いつになく蓮が優しい気がした。

「ごめん、連絡出来なくて」

 連絡を忘れていたことを素直に謝ると、

『じゃぁ、今日は帰って来ないのか?』
 
 落胆するような、どこか寂しそうな色を含んだ蓮の声が返ってきた。

――え?
 
 思わずドキンと胸が鳴った。
 声が寂しそうだったからだけじゃない。

 今蓮――帰って来ないのか、って聞いてきた……。
 それがあまりに自然過ぎて、そのさりげなさに躯が震えた。
 俺の帰る場所は、蓮の家でいいんだ。
 俺はまだあそこにいていいんだ。

「帰るよ、絶対……ちょっと時間がかかりそうだけど」

 そう言われて、帰らないわけない。
 蓮が待ってる家に、絶対に帰る。

『いや、おばさんも心配なんだよ。こっちは大丈夫だから、無理すんな』
 
 俺の体調を気にしているせいなのか、蓮の声が優しく聞こえた。
 しかし、その中には寂しさも含まれている。
 そんな声をすぐ側で聞いて、胸が苦しくなった。
 いつもと様子が違うのは、寂しいからなのかもしれない。

「電話だと分かりやすいな。お前の声、寂しそう」
 
 そう思ったら、呟いていた。

『お……俺じゃなくてイチローがな! イチローが寂しいがってたから』
 
 しかし、いつもなら焦って否定してくるのに、電話だから誤魔化せないと思ったのか、それとも顔を合わせていないからなのか、珍しく蓮は俺の言葉をあっさり認めた。

 でもそれを、猫のイチローに擦り付けているあたりが蓮らしく、思わず電話口で笑ってしまった。

「えー、アイツ俺にちっとも懐いてねーけど?」

 こっちは仲良くしたいと思って構っているのに、イチローは自分のご飯の時間しか俺の側に寄って来ない。
 しかも、俺が蓮に邪な想いを抱いている事を知っているのか、見せつけるように俺の前で蓮に甘えることもある。
 そんなイチローが、俺を寂しがるなんてない。

「俺いない方が、うるさいのいないってのんびりしてんじゃん?」
 
 だからその矛盾を指摘すれば戸惑うかなと、からかうつもりで言った。
 蓮が少しでも元気になってくれれば、いつもの蓮になってくれればいいなと。
 それなのに。

『いや、いつもうるさかったから逆にさ……お前がいないとなんか寂しいんだよ……』
「――えっ?」

 笑顔が固まった。
 完全に今のは蓮の気持ちだ。
 俺の言葉に、うっかり漏らしたとしか思えない。

「蓮……それって……」
『あ! いや、イチローだぞ? イチローがそんな顔してたって話だよっ』

 自分の失言に気がついたのか、慌てて言い訳をするが、もう遅い。
 真っ赤になって焦っている蓮の姿が思い浮かぶ。

『ホラ、ずっとお前に世話になってたし! 懐いてなさそうに見えて、結構お前のこと気に入ってたみたいでさっ』
 
 そんな言い訳をすればするほど、全部蓮の気持ちに聞こえてくる。
 イチローにすり替えて、自分の気持ちを言っているように思えた。
 違うだろ、お前の気持ちだよな?

「蓮」
『……そりゃー……あんだけ一緒にいれば……』

 さすがにが苦しい言い訳だと思ったのか、諫めるように名前を呼ぶと、観念して聞こえづらい小さな声でそう呟いた。

「っ!」

 ダメだ。今のでかなりヤられた。すげーキた。
 もう我慢できない。

「今から行く!」
『え、でも』
「今すぐ会いたいから絶対行く! 10秒で行くから待ってろ!!」
 
 急いで携帯を切ると、勢いよく部屋のドアを開けた。

「わっお兄ちゃん!」
 
 見張りの妹が、慌てて手を広げて廊下を塞ぐが、

「母さん! 俺やっぱり蓮ん家行ってくる!」

 キッチンにいる母さんにそう宣言し、

「え? ちょっと、朋!?」
「お兄ちゃんっ」
 
 妹の制止を振りきって、家を飛び出した。
 これ以上蓮に心細い思いはさせられない。
 させたくない。
 全速力で蓮の家に向かった。
 
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