12月31日深夜11時半。
一緒に初詣に行きたいと、一年後輩の圭吾はこの寒い夜中、1時間かけて自転車でうちの近所までやってきた。
しかし待ち合わせにやってきた圭吾は、どうみても不審者だった。
「……お前大丈夫か?」
「はい。余裕っす」
「いや……そうは見えねーけど……」
帽子を目深に被り首にはマフラーぐるぐる巻き。
その上マスクをしている圭吾は、一目見ただけでは圭吾だと気付かなかったほどの重装備。
まぁそれだけなら冬の真夜中の事なので、「寒かったんだろうな」で片づけられるが、問題はそこではない。
「だいじょう……げほッ、ゴホ、ゴホンッ」
「ほら、もーすげぇ咳してるじゃん」
会話の途中で何度も咳込み、声も鼻声で、時折鼻も啜っている。
目が潤んでキラキラしているのは、寒いだけでは絶対にない。
明らかに圭吾は風邪を引いていた。
「お前明日バイト入ってんの?」
「はい……1班の6時組です」
「6時ぃ?! じゃぁほとんど寝れねーじゃん!」
圭吾の答えに、思わず声を上げた。
喜多川高校野球部は毎年年明けの4日間、トレーニングの一環として、予定のない者は自宅最寄りの郵便局でアルバイトをする事になっている。
部員は坂の多い地域を中心に自転車で配達するのだが、三が日は一日数回配達をするため、一番早いシフトで朝6時入り。
どこの局でも、アルバイト初体験の高校1年生がもっとも忙しく寒くて辛い早朝組に入れられる事は多いのだが、約束の時間と圭吾の事だから、もしかして上手く早朝班は回避出来たのだと俺は思っていた。
「一緒に初詣に行ってください」と、前日の深夜12時近くに待ち合わせを指定してきた圭吾のシフトが、まさか早朝組だったなんて。
今から行く予定の神社は結構混む。
初詣に行くとなると、自転車で1時間ほどかかる圭吾が家に着くのは、早くても2時半近くになってしまうだろう。
しかも具合が悪いというのに。
――具合悪ぃのに今のうちに休まないとか、コイツ本当にバカなんじゃないのか?
「なぁ、部活の後一緒に初詣行ってやるからさ。やっぱ今日はやめようぜ。4日まで待てよ」
4日後には部活が始まる。
その後に一緒に行くから帰ろうと圭吾の為を思ってそう言うが、
「いや、ですっ! 絶対帰りませんっ」
思いは全く伝わらない。
圭吾は、頑なに首を振り、ちっとも言うこと聞こうとしない。
「先輩と年越しするって決めて、俺ここまで来たんですよ?!」
終電は1時。
帰る時間を考え、通常往復40分ほどかかる距離を、川を越えてまで自転車でわざわざ来たその熱意は買うが。
「いやいや、だってお前その状態じゃさー」
「いーやーでーす! 早く行きましょうっ」
しかし、頑固な圭吾は帰るどころか、早くお参りに行こうと腕を引く。
この問答の間も、圭吾はずっとゲホゲホ咳をし、ズビズビ鼻を啜っている。
帽子にマフラーとマスクで顔はほとんど隠れているが、この様子では熱もあるに違いない。
一応先輩として、こんなに体調を崩している後輩を引き連れこのまま初詣には行けない。
これが原因で風邪をこじらせ、正月早々寝込まれても困る。
どうすればいいかな……と考え、閃いた。
「お前がよくても俺がイヤだ。そんなお前と一緒にいたくない。風邪を移されても困るしな」
「え……」
一瞬で圭吾の顔色が変わった。
「お前は正月早々俺に風邪を移す気か?」
「いえっ! そそそそんな……つもりは……」
予想通り、圭吾は泣きそうな顔になりながら俯いた。
圭吾は俺を追って喜多川に来たと言い、入部した時からやたらと懐いて来た。
常に俺の周りにいて、パシリでもなんでも俺の言う事なら何でも聞いてくれる、可愛い後輩だ。
しかしその圭吾の気持ちは時折暴走する。
今がその時だ。
早朝バイトに風邪を引いているという最悪な状態なのに、無理矢理にでも一緒に初詣に行きたがる。
圭吾の為を思って言ったところで、コイツは絶対聞きやしない。
圭吾の最優先事項は自分なのだ。
だったら、自分のせいにすれば話が早いという事に気が付いた。
「じゃー今日はやめにしてさ、帰ろーぜ?」
圭吾の気持ちが揺らいだ所で、肩をポンと叩き帰宅を促した。
「今なら電車あるし、チャリはうちの親父に頼んで部活の日持ってってもらうから」
今にも倒れそうな圭吾を家まで送ってってやりたいと思うが、両親は酒を飲んでしまっている。
だからといってまた1時間もかけて自転車で帰れらせるのも不安だった俺は、圭吾に電車で帰るように言った。
親父の軽トラで運んでもらえば、ついでに俺も車で学校まで送ってもらえるし、願ったり叶ったりだ。
「わかりました……。でもあのっせめて日付変わるまで一緒にいてください! お願いします!」
「え?」
それでようやく渋々承諾してくれたが、圭吾は今にも泣きそうな声でそう懇願された。
どうしようか迷ったが、年が明けるまであと10分ほどだったので、それくらいはまぁいいかと頷いた。
せっかくここまで来たんだから、年越し位はいっしょにいてやってもいいだろう。
「んー、じゃぁこれ以上近寄るなよ」
「はいっ」
笑いながらそう言うと、圭吾はさっきまで泣きそうな顔をしていたのに、一転ぱぁっと笑顔になった。
現金なヤツだ、と思わず笑みがこぼれる。
「お前さ〜、もうちょっと自分の事考えろよ」
「う〜〜〜でも〜〜〜〜〜」
「でも、じゃねーよ。体調管理も大事な事だぞ」
「はい……」
しかし、少々きつめの口調で言い聞かせた。
俺とバッテリーを組みたいと、未経験の捕手に転向して無我夢中で練習をしているが、一生懸命すぎて周りが見えていない圭吾は、見ているこっちが冷や冷やする。
懐いてくるせいで必然的に圭吾の教育係になっているが、こいつを指導するのは大変だ。
「俺とバッテリー組む以前に正捕手になりてぇなら、怪我、病気をしないは基本だぞ。いいな?」
圭吾(自分)の為と説得するより、俺の為か、正捕手の座をチラつかせないとわかってもらえないのだから。
「あ、はいっ! すみません!」
ようやく圭吾から気持ちのいい答えが返ってきて、ホッとすると突然周囲がわぁっと騒ぎ出した。
「あ、年明けたのか?」
「おめでとう」と飛び交う声が聞こえ、年が明けた事に気がついた。
時刻を確認しようとコートのポケットから携帯電話を取り出そうとすると、
「あ! だめ! 携帯は見ないで下さい!!」
圭吾が慌てて俺の手を押さえた。
「え? なんで?」
思わず圭吾を見上げると、至近距離に圭吾の顔があった。
「わっ、なんだよ」
「あ! わぁすみませんっ! えっと、お、おめでとうございます!」
これ以上近づくなと言ったからか、圭吾は掴んでいた手を慌てて離すと、二、三歩後退しそう言いながら頭を下げた。
「おう。おめでとう。今年もよろしく」
苦笑いを浮かべながらありきたりな新年の挨拶をすると、
「違いますよっ、誕生日の方! ハッピーバースデーです!!」
ハッと顔を上げ、圭吾は心外だと言うような口調で言った。
「は? あぁそっか。サンキュ……てかそっちか!」
圭吾のその言葉で、今日が自分の誕生日だった事を思い出した。
元旦である1月1日は確かに誕生日だが、この日は新年の年明けの方に話題を取られ、幼い頃から誕生日祝いなんておざなりだった。
幼い頃はムキになって元旦よりも今日は自分の誕生日だと一生懸命主張したが、小学6年くらいからはもうこの日はどうやっても元旦に叶わないんだと諦めていた。
今では、自分でも誕生日を迎えた瞬間だという事を忘れカウントダウンの後に自ら「明けましておめでとうー!」と言ってしまうくらいだ。
なので、久しぶりに「明けまして」よりも「誕生日」に「おめでとう」と言われ、うっかりきょとんとしてしまった。
「はい! 俺先輩に一番におめでとうって言いたかったんです!」
あぁ、だから携帯も見るなって言ったのか。
友人からの新年あけおめメールに混じってある、バースデーメールを見られたくなくて。
――そんなメールしてくるヤツなんていねーよ。
新年の挨拶メールと、誕生日を思い出してくれた友人からのお祝いのメールも来ることは来るが、0時きっかりになんて送ってくるヤツなんていない。
そんな事を考えるのは――おそらく目の前の圭吾くらいだろう。
「あ! もしかしてこの時間に待ち合わせしたの、初詣じゃなくて……それ言うため?」
「はい!!」
「……お前って本当に俺の事好きだなぁー」
「もちろんです!」
圭吾を見つめながらしみじみ呟くと、圭吾は――ほとんど顔は見えないが、おそらく――満面の笑みで微笑んだ。
まさか圭吾の言う「年越し」が「歳越し」だったとは。
いつもと逆で、元旦の方が「ついで」扱いにされているのが妙に嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
「先輩? どうしました?」
そのにやけた顔を圭吾に覗き込まれ、ハッとした。
「べ、別にどうもしねーよ! あ、ホラ、もう帰れっ」
「えっ……あ、はぁい……」
慌てて帰宅を促し駅に向かって歩き出すと、圭吾はがっかりと肩を落とし後を歩いた。
「大丈夫か? 気をつけて帰れよ。あ、心配だから家に着いたらメールしろ」
「はぁい……先輩も気をつけてください」
改札をくぐり、後ろめたそうに何度も振り返りながらホームへ向かう圭吾を見ながら、俺はなんとなく今年は特別な年になりそうだと思った。

(イラストページにもUPしてます)