あれから家に帰ってきても何もする気が起きず、蓮はリビングのソファに寝そべり、ただずっと天井を眺めていた。
あまりのショックに足下をふらつかせ、ぼーっとしていた蓮を心配して、小木津が家まで送ってくれた。
一人だったら、電車を乗り過ごしていたかもしれない。家に帰る道も何度も間違え、小木津に助けられた。
電車に乗っている間も、家までの道のりも、二人の間に必要以上の会話はなかった。
それでも小木津に助けられる度、いてくれる事をありがたく感じた。
ほんの数分前まで二人でいることがあんなに居心地悪かったのに。
それくらい、動揺していた。
家に帰ってきて何時間経っただろう。
「寒っ……」
日が落ち家の中が薄暗くなったのに気付いて、蓮は電気をつけようと起きあがった。
――こんな時間まで何やってんだよ……。
あの女の子達と一緒にデレデレした顔で笑っている朋久の姿を想像し、イライラが募る。
――くっそっ!
殴るようにスイッチを叩き電気を点けると、同時に玄関の鍵が開く音が聞こえた。
「?!」
あまりのタイミングに驚いて、ビクッと体が硬直する。
――トモ!?
「蓮!! 蓮っ!!」
すぐに自分を呼ぶ朋久の大声と、バタバタと廊下を駆ける足音が聞こえた。
会いたくない。けれどちゃんとわけを聞きたい。でもそれも怖い――。
色んな感情が交じり合い、蓮はその場から動けなかった。
「あ、蓮!」
リビングに入ってくるなり、入り口にいた蓮に気が付くと、朋久はすぐに蓮の肩を掴みかかった。
「あのな、あの、あれは違うんだからなっ!! 勘違いすんなよ!?」
「あ、あの」
そのものすごい剣幕に思わず身を引くが、朋久は止まらなかった。
「あれは頼まれてたからで、だからあの子の彼氏の振りをしてただけなんだよ! だから変な誤解すんじゃねーぞ!?」
しかし、その理由を聞いて蓮は眉を顰めた。
「……振り?」
自分でもその理由は何度も考えた。それしかあの状況を正当化する理由が思いつかなかった。
彼女がいたなんて思いたくなかった。朋久との5ヶ月を嘘だと思いたくなかった。
二人の間の空気が本当にカップルのようにとても自然であっても、朋久を信じていたかった。
でも――。
強く肩を掴まれていた肩を振り払い、朋久を見つめた。
「じゃぁなんでそんな用事が、俺との約束延期させるほど重要な事だったんだよ。どうしても断れない理由ってなんだったんだよ」
そんなありきたりな言い訳(理由)では納得出来ない。
それが自分より優先しなけらばならないような事だとは到底思えない。
「そ、それは……色々とあって……」
しかし、蓮がその理由を求めると、さっきまで強気で蓮を見ていた朋久の視線が泳いだ。
そしてパチパチと瞬きの速度が早くなる。
「……っ」
それは隠し事をするときの昔からの朋久の癖だ。
――なんで……隠し事するんだよ……。
朋久の動揺に蓮の心も乱れた。
胸が締め付けられるように息苦しい。
「そ、そんな事より、なんでお前隼人の事黙ってたんだよ!」
この期に及んでまだ何かを隠している朋久にショックを受け、蓮が何も言えずに黙っていると、朋久は態度を一転させ詰問し始めた。
「え?」
「隼人から話は聞いたけよ。でもなんでお前それ俺に言わなかったんだよ」
「べ、別に黙っていたわけじゃねーよ。……言うタイミングがなかっただけで」
強い口調に思わず怯んだ。
小木津と一緒にいるだけで朋久はいつも不機嫌になる。
なので結果的に黙って会っていた事、それを知った朋久の気持ちは分かる。
「だから言わなかったのはたまたまで、小木津とはなんでもねーよ」
しかし。
「本当に?」
いつものヤキモチと違う朋久の声色にドキッとした。
胸がザワザワと騒ぎ出す。
――なんだろう嫌な予感がする。
「……あえて黙っていたんじゃねーの?」
「――は? ……なにそれどういう意味だよ」
眉根を寄せ尋ねると、それまでずっと蓮の目を見つめていた朋久がすっと目を逸らした。
「う……嬉しかったんだろ? その、隼人に誘われてさ。だから俺に邪魔されないように黙ってたんじゃねーの?」
「な……」
朋久の放った言葉に一瞬気が遠くなった。
「何言ってんだよ……お前……」
信じられなかった。
妬かれるとは思っていたが、そんな事を言われるとは思いもしなかった。
黙っていたのは本当にタイミングと、騒がれるのがイヤだったからだ。
朋久が先に言い出さなかったら、ちゃんと事の経緯を話していた。一緒に行くと言われたら三人で行こうとも思っていた。
だって、元々は朋久のせいで、自分は尻拭いに巻き込まれただけのだから。
なのに――。
「そりゃー元々甲子園に行くまでって、それまで待つって話しだったけどさ……。お前が俺の事受け入れてくれたからてっきり……。お前まだ隼人の事好きだったんだな……」
朋久の言葉が、蓮の心を抉っていった。
「――っ」
――そんな風に……思っていたのかよ……。
ドキドキと動機が激しくなり、目眩もした。
朋久が未だに小木津との事を気にするのは、過去の事でも蓮が本気で好きになった相手だからだと思っていた。
小木津への気持ちは今はもうないとちゃんと伝えてある。
それなのに――。
「ずっと勘違いしてた。お前やっぱり流されてただけだったんだ……」
その言葉に蓮の頭の中は真っ白になった。
ピンと張ってあった線がプツッと切れたような脱力感が蓮を襲った。
5ヶ月もの間、お互い一体何を見てきたのだろうか。
「もういい……」
「え?」
途端になにもかもどうでもよくなった。
「終わりにしよう。もう、こんなの……」
こんな言い争いも、朋久に彼女がいたとかいう事も、もう全てが面倒くさくなった。
「別れよう……」
もう全部終わりにしたいと思い、気が付いたらため息を吐きながらそう呟いていた。
「は? ――――え?」
蓮の一言に朋久の動きが固まった。
何か言いたそうに口をパクパクしながら朋久が蓮を見つめる。
「なんかもう……疲れた……」
蓮は自嘲気味に微笑むと、蓮は朋久に背を向けリビングを出た。
「れ、蓮!!」
あまりの事に体固まって動かなくなっていた朋久を置いて。
部屋に入ると、蓮は崩れるようにその場に座り込んだ。
朋久は追いかけてこない。
涙ぐみそうな目元を乱暴にこすりながら、ベッドに腰掛ける。
――当たり前……だよな。
自分で別れを切り出しておいて、追いかけてくることを期待していた自分に、自嘲する。
そのままバフッと音を立ててベッドに倒れると、蓮は天井を見上げた。
――これでいいんだ。もうアイツに振り回されるのは嫌だ……。
玄関で蓮の母親の声が聞こえた。
――あ、今日帰ってくる日だったっけ……。
しかし、脱力して部屋から出る気にならないでいると、代わりに出迎えている朋久の声がかすかに聞こえた。
いつもと変わらない朋久の声に、胸が痛んだ。
――そうだよな……お前にとっちゃたいした問題じゃないよな……。彼女も……いるんだし……。
布団を被り、階下から聞こえてくる声をシャットアウトした。
そのまま蓮は、夕飯の呼び出しがかかっても母親が心配して部屋を覗きに来ても、布団を被ったまま自室から出なかった。
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翌日――日曜の朝リビングに降りると、いつものように朋久が朝食を作っていた。
「おー、おはよう。メシ出来てんぞ」
そしていつもと変わりない笑顔で蓮を迎えた。
「……」
眉根を寄せる。
――なんで。……なんでそんないつも通りでいられるんだよ。なんでそんな笑顔なんだよ……。
握り拳にグッと力を込めた。
「おばさん、呼び出し来て夜中病院戻ったみたい。大変そうだなぁ。ん? 蓮何してんの。メシ食おうぜ」
朋久の態度に唖然と突っ立っている蓮に、ダイニングテーブルに朝食を並べ終えた朋久は席に促した。
――俺は、そんな軽い気持ちであんな事言ったんじゃない。
自分と朋久の間の想いに、こんなに差があったんだと、愕然とした。
苦しい気持ちで、胸が引き裂かれる気持ちで別れを切り出したのに――。
「……トモ」
震えそうになりながら声を絞り出した。
「ん? 何?」
縁はもう切れたんだ。いつまでも朋久にここにいて欲しくない。
近くにいたら……朋久への想いがいつまでも絶ち切れない。
「今更中止に出来ねーだろうから、クリスマスまでは仕方ないけど……それ終わったらお前も実家帰れよ」
そう言うと蓮はバッグを持って朋久に背を向けた。
「え――?」
朋久の声が固まったのがわかった。
でも、ここで再び口論するわけにはいかない。
昨日、朋久は蓮を追ってこなかった。
いつまで経っても、別れたくないと、あの女の子に対しての言い訳も言ってくれなかった。
――それが朋久の答えなんだ。
そう納得し、一晩かけて自分の言った台詞に心を決めた。
今更反論なんてされたくないし、かといって「わかった」とも言われたくなかった。
もう何も聞きたくなかった。
「メシいらない。部活……行ってくる」
そして蓮は家を出た。
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