翌朝、朋久の姿はなかった。

「マジで帰った……?」

 誰もいない静まり返ったリビングで、蓮は呟いた。
 朋久のヤキモチが原因の、昨日のようなくだらない喧嘩は今までもあった。
 しかしどんなに激しく言い合っても翌朝朋久は蓮の朝食を用意していた。そして結局朋久が「ごめんっ」と頭を下げてくるのがいつものパターンだった。
 その朋久の姿が今回はない。
 旅行と、さらに朋久との喧嘩の疲れからか、今日の起床時間はいつもよりもかなり遅い。
 しかしまだ10時だ。朋久がこんな時間から家を出ていくなんて事は今までなかった。
 携帯電話に朋久からのメールはない。
 テーブルの上にも置き手紙的なものもない。
 と言うことは昨日の夜本当に実家に帰ったか、蓮と顔を合わせたくないため今朝早く家を出たかのどちらかで。

「あーそう。そういう態度なわけ」

 実家に帰れと言ったのは自分だが、くだらない嫉妬にまだへそを曲げている朋久にイラッとして、蓮は誰もいないキッチンに向かってそう言い捨てた。
 どうせすぐに泣きついて必死に謝ってくるくせに。
 リビングのソファにドカっと座ると、蓮はテーブルの上に昨日から置きっぱなしになっているお土産の入った紙袋に手を伸ばした。

「もーこれトモには絶対やんねぇ。全部食ってやる」

 ぶつぶつ言いながら蓮はそのお土産の一つを開封した。
 まるまるイチゴをホワイトチョコレートでコーティングしたあの有名なお菓子。
 女の子達が「美味しい〜」と騒いでいたので、甘いものが好きな母親と朋久が喜ぶだろうと思って買ってきた。
 それなのに。

「うわ、甘っ」

一口かじると途端にチョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。

「……あまい……」

 予想以上の甘さに蓮は席を立ち、口の中のチョコレートを水で流し込もうとキッチンに向かった。

「ふー……」

 口の中の甘さが流れて消えると、一息吐いてソファに戻る。

「どうすんだよ、こんなに」

 かじった歯形が付いている丸いチョコレートの塊を見つめて、蓮は思わず溜息を吐いた。
 六個入りのチョコレート。一個処分してもあと五個もある。
 しかし蓮は甘いものが得意ではない。
 一口でこんなにダメージを受けるほどなのに、これを朋久の分まで食べるのは無理だ。
 この甘ったるいチョコレートを「わぁ、美味しそう〜!」と言ってペロリと平らげる朋久の幸せそうな笑顔を想像して、ますますイライラする。
 喜ぶ顔が見たくて買ったのに、きっと朋久はそんな蓮の気持ちに気付かない。

「……これも……あげねぇんだから……」

 もうひとつ、朋久用に買ってきたご当地キーホルダーの入った袋を開けた。

「……本当どこをどう見ても可愛くないよな、これ」

 取り出してゆらゆらと揺れるキーフォルダーをじっと見つめて、呟く。
 朋久はよくわからない、どう見ても不細工なキャラクターのキーホルダーをたくさん鞄に付けている。
 だから「キモカワキャラ」と書かれたこのキャラクターを見た瞬間、朋久が好きそうだと思って思わず買ってしまったのだ。

「……」

 しかし、自分の趣味ではない。元々キーホルダーの類はあまり付けない方な上、このキャラクターはなんでこのデザインでキャラクターとして採用されたのか不思議なくらい悪い意味で特徴的な顔をしている。
 受け狙いで買ったようなものなので、こんな気味の悪いキャラクターグッズを、朋久以外にはあげられない。
 母親にあげたところできっと朋久に流れるだろうし、他に悪趣味なキーフォルダーをあげられるような友人はいない。

「どうすんだよ、これぇ……」

 背凭れに背中を預け天井を仰いだとき、玄関で鍵が開く音が聞こえた。

――トモ?

 ドキッと姿勢を戻しドアの方へ振り向いた。
 玄関の方でガタガタと物音が続いている。

――なんだよ、もう帰ってきたのかよ。

 珍しく反抗して家を出ていったくせに、午前中持たなかったなんてと、フッと思わず頬が緩んだ。
 ちょっと困らせてやろうかと、正面に向き直してTVを付けた。
 蓮は怒っているように見せようと腕を組む。
 しかし、

「ただいま〜」

 入って来たのは予想していなかった声だった。
 驚いて振り返ると、蓮は目を丸くした。

「……なんだ、母さんか……」

 帰ってきたのは朋久ではなく、母・礼子だった。

「何だってなによー」

 蓮の反応に不満気な顔をして入ってくる。
 そういえば今日は礼子が帰ってくる日だったのを思い出した。
 だから朋久は昨日のうちに家に来たがったのだ。
「おばさん帰ってくる前に蓮といちゃいちゃしたいしー」とか言って。

「あら、トモ君は?」

 キョロキョロしながら礼子が朋久の姿を探し、蓮は思わずドキッとしてしまった。

「え?あ……いない、けど……」
「あー、そうか。蓮が旅行の間お家に帰っていたんだっけ」

 そう言いながら小さなカバンを床に置くと、礼子は首を左右に曲げコキコキと音をならし
ながら蓮の横、リビングテーブルの横に座った。
 朋久の事をかなり気に入っている礼子は、帰ってくる時に朋久がいないと心底寂しがる。
 試験前などでしばらく朋久が実家に帰っていると、いつもより明らかに元気がなくなり、実の息子でさらに朋久の恋人でもある蓮が複雑な気持ちになるくらいだ。

「あ、えっと、これお土産」

 その朋久と喧嘩をしているせいか、なんとなく昨日から来ているとは言いづらくて、礼子の言葉を曖昧に交わし、先ほど食べかけたお土産の箱を開けた。

「あら、これ知ってるー! 有名なお菓子よね。美味しそう」

 朋久がいない事でしょんぼりしてた礼子だったが、蓮が差し出したお土産を見て笑顔になった。

「んー、美味しい! 疲れた時のチョコって最高」

 蓮は一口かじっただけでその甘さに音を上げたチョコレートを礼子はまるまる一個口の中に入れると、そう言って幸せそうな笑みを見せた。

「……よくそんな甘いの食えるな」

 二個目を口に入れる礼子に、思わず呟く。

「これ蓮の食べ欠け? じゃぁコレお母さん食べるからあとの3つはトモ君に取っておこう♪」

 蓮が一口かじったチョコを手に取ると、礼子はそう言って箱のふたを閉めた。

「い、いいよっ。母さんが食べていいから」

 蓮が慌てて一度礼子が閉めた箱を開けた。

「トモ君の分もあるの?」

 その態度に礼子がきょとんとして蓮を見つめると、

「いや……ないけど……」

 思わず口ごもった。

 「えーじゃぁ取っておきましょうよ。絶対トモ君も好きよ、コレ」

 蓮の答えに礼子はそうにっこり微笑むと、再び蓋を閉めた。

「……」

 礼子を見ていると、朋久の好物をあげたくないと思っている自分があまりに子供っぽい反抗すぎて恥ずかしくなってきた。
 ムキになっている自分がバカバカしく思えてくる。

「そう言えばトモ君がまだ来ていないなんて珍しいわね。あ、あーだから蓮、さっき"なんだ”だったのね。トモ君かと思ったんだ」
「え……っ」

 その台詞にドキッとして思わず礼子を凝視してしまった。

「え、いや、別に」

 その言葉に深い意味はないとわかっているけれど動揺してしまった。

「み、水飲もっ」

 顔が熱くなるのを感じ、礼子の視線から逃げるように慌ててキッチンに向かった。

――やばい。俺、顔赤くね?!

 水で濡らした手を頬に顔を当て、気持ちを落ち着かせようとこっそり深呼吸を繰り返した。

「ねぇ、そう言えばどうだったの? 修学旅行。コレ写真ある? 見ていい?」

 そんな蓮に気づいているのかいないのか、礼子は蓮の方を見ずにそう言ってテーブルの上のデジカメに手を伸ばした。

「あ、うん、いいよ。北海道、思ったより寒くなかったし、天気も良かったよ」

 慌てて洗い物かごの中からコップを取り出し、水を汲むと一口含みゆっくりと飲んだ。

「あら本当いいお天気だったのねー。みんな可愛いわねー。いいなぁ北海道」

 礼子はデジカメの中の写真を見ながら、一人で楽しそうにしゃべっている。

「あーお母さんも旅行行きたいなぁ〜」
「つっても母さん休み取る気ねーじゃん」
「そんな事はないけどー。あ、じゃぁ今度三人で旅行でも行く?」

 礼子はくるっと振り返って蓮を見ると、嬉しそうに目を輝かせた。

「三人?」

 一瞬首を傾げたが、どう考えてももう一人は朋久以外思いつかない。

「なんでナチュラルにトモが混ざってんだよ」
「だってもうトモ君も息子みたいなものだもの」

 あっさりとそう言う礼子の言葉に蓮は溜息を吐き、そして覚悟を決めた。
 朋久がいないと礼子が寂しがる。
 それに仕事で疲れて帰ってきて、家事をさせるもの気が引ける。

「ねぇ、蓮。石岡君と小木津君はわかるけど、こっちのまつげの長い子も野球部?」

 デジカメを見ながら蓮を呼ぶ礼子に、

「ってゆーかそれがウチの柱だよ。もうすげー選手なんだぞ」
「え?! この子が?? こんなに可愛い顔してるのに??」
「母さん試合に来ないから覚えないんだよ」

 ぐいっと残りの水を飲み干すと、蓮はそう言って再びソファに戻った。

――今回は俺が折れてやるか……。

 朋久のヤキモチと被害妄想は度が過ぎているが、それもこれも蓮を想うからこそ。
 頭ではわかっていても、朋久の気持ちが強すぎて素直に受け止められず、どうしても腹が立ってしてしまうのだ。
 朋久が折れて謝り終了するのがいつもの流れだが、たまにはこっちが折れてもやってもいいかと思った。
 そうすることで、自分の方が優位にたてる(大人になる)気がして。

――トモが帰ってきたら言い過ぎたって謝ろう。それでお土産でも渡せば、アイツの機嫌なんてすぐ直るだろうな。

 フッと笑みをこぼすと、蓮は時計を見つめた。
 朋久がすぐに帰ってくると思って――。
 
>>続く
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