野球部が夏大に向けて始動し始めてから、少しずつ蓮は変わっていった。
去年もこの時期は、蓮はいつもより素直になっていた。
ハードな練習でくたくたになると、朋久に天の邪鬼な態度をとる余裕がなくなるのかもしれない。
今年はそれに加えて笑顔が増えた。
試合に勝った日は特にご機嫌で、その日は意地っ張りで天の邪鬼な蓮ではなく、朋久が何を言っても何をしても素直に笑ってくれる蓮になる。
まるで昔の、毎日二人で遊んでいた小学校の頃の蓮のように。
さらに朋久の気持ちを察してくれると、仕方ないなと受け入れてくれる。
どこからどうみても恋人同士っぽい、まさにラブラブ生活。
いや、もうそれ以上にこれは新婚生活だ。
大好きな人と毎日ラブラブイチャイチャの、そんな絵に描いたような幸せな日々。

――……なんだけど、これ以上ない位幸せなはずなんだけど。

「なんでこんな切ないんだぁーーー」
「なんだ、どうした、トモ。そんな壮大なため息吐いて。あ、もしかしてとうとう別れたか!」

教室で「はぁぁぁぁ」と大きなため息を吐き、朋久が机に突っ伏すと、悪友の涼が嬉しそうに寄ってきた。
ほぼ毎日一緒に遊び回っていた朋久が、蓮とつき合い始めてからぱったりと遊ばなくなってしまい、涼は面白くないらしい。
寂しさ紛れに彼女を作っても、気が多い涼はすぐに浮気をして、毎回長続きせず終わる。
なので、涼は蓮と喧嘩をした時にこぼす朋久の愚痴に喜々として乗り、事あるごとに別れさせようと煽るのだった。
しかし逆に煽られたお陰で、喧嘩の原因を考えたり蓮の事を考えるきっかけにもなっている。
そして毎回元鞘に収まっているので、涼が何を言っても朋久は本気にとらないし、朋久の相手が男だとわかっても、否定したり気持ち悪がったりせず、自然に受け止めてくれた涼の事を信頼している。
友情が保たれたまま続いているのも、なんだかんだと蓮と続いているのも、涼のお陰だと思っている。
でも、たまには慰めて欲しい時もあるわけで。

「しょっちゅうケンカしてんもんなぁ。でもうん、がんばったよ、お前は」

本当にこう言うときの涼の声は心底嬉しそうで、マジで凹んでいる時はさすがにイラッとする。

「んなわけねーじゃん! ラッブラブだよ。これ以上ないくらいに!」

ガバッと顔を上げ反論すると、

「えーそうなのぉ? なんだよ、つまんねぇ。じゃぁなんでそんな顔してんだよ」

涼は首を傾げながら、空いていた朋久の前の席に座った。

「それがわっかんねーんだよ〜〜。わかんねーから悩んでんじゃんかぁぁぁ〜〜〜」

涼の質問に朋久は再び机に突っ伏すと、頭をかきむしった。
自分でも、何にこんなにもやもやしているのか、何が不満なのかわからないのだ。
これ以上ないくらいの幸せを感じているのは事実だから。

「あ、悩んでたんだ」
「だって、だってよー。ツンデレのあの蓮がさ、いつも笑顔でさ、めっちゃくちゃ可愛くってさ。そりゃー、夏が終わるまではお預けだけどさ。でもそれでも十分幸せだって思ってるんだよ。なのにさ、なんかこう……なんか違うんだよ。もやもやするってゆーか……」

そして毎度の事ながら、ついつい涼に事情を話してしまう。

涼しか相談できる相手がいないもあるが、トラブっている事を嬉しそうにしても、結局涼はちゃんと話を聞いてくれるから。

「え、何お前お預けくらってんの?」

たとえ、話題がいつも下ネタ直結になっても。

「だって……試合あるし、躯に響くから……」
「え、どのくらい? どんだけお預け?」

涼は身を乗り出して聞いてくる。こういう話は本当に食いつきがいい。
順調につき合っている時はなんでも話してノロケたいので、蓮が聞いたら激怒するくらい、涼の顔が能面のようになるくらい、あけすけに話をしてしまうが、今は違う。

「それは……」

思わず言い淀む。

「しばらく何も言ってこないなーって思ってたんだよ。で、どのくらいやってねーの?」
「い……1ヶ月くらい……」

今までさんざん暴露していたので、仕方なく正直にその期間を答えると

「はぁ?! 1ヶ月ぅ? マジで? 一緒に住んでんのに?! うわ、なにそれありえねー!! 地獄じゃん!」

思った通り、涼が大げさに驚いた。
言われるまでもなく、今の状況が男にとって地獄なのはわかっている。
でも、どうしても出来ない事情があるわけで。

「しゃーねーじゃん、色々大変なんだから! 愛があれば我慢出来るんだよっ!」

やや切れに応戦するが、

「えーでも、1ヶ月はないだろー。考えりゃ出来る日だってあんだろう。ハニーだってお前のこと好きならやりたくなるだろう、普通の男ならさー」

しかし、痛いところを突かれて言葉に詰まってしまう。
いくら淡泊な蓮だって、とは何度も考えたことはある。
特に蓮から誘ってくることはないけれど、それでも蓮は照れ屋だし、蓮も我慢しているはずだと、そうずっと自分に言い聞かせていた。

「蓮だって我慢してるよ……だって……キスしてるし、ちょっと触るとかはアリだし……それに蓮も抜いてくれたり――」

キスは拒まないし、抜き合いもしてくれる。
毎回イヤな顔はするが、頼めば3回に1回はあの蓮が、仕方ねーなと口でしてくれる事だってある。
そんなスペシャルな行為をしてくれるのは、蓮も我慢してるから、自分と触れ合いたいからだと思っていた。

――が。
「お前、それ誤魔化されてね?」

その思いを涼がバッサリと斬った。

「そんなんじゃ誤魔化されねーぞって、お前の本心は訴えてんだよ。お前の頭はヤリたりねーって叫んでんだよ」
「え〜〜〜何だよ。それじゃ俺ただのケダモノじゃん〜」
「お前のどこ見たらケダモノじゃねーんだよ。その声無視して、すげー幸せ〜とか言って無理矢理ピュアぶってるから、もやもやしてんじゃん」

ドキリとした。

「それにずっとツンツンしてたのにさ、妙にデレてるから余計誤魔化されてるって思うんじゃね?」

涼の言葉が胸に刺さる。

「つーかさ、そもそもたかが部活の為に、なんでお前そこまでしてんの? 俺お前らの馴れ初め知らねーけどさ、相手の家で家政婦して、さらにエッチまで我慢して、それお前になんのメリットがあんの? 完全に都合のイイ男じゃん」
「それは――」

そう改めて言われてしまうと、言い返せない。
自分のメリットなんて、今は蓮と一緒にいる事だけだ。
キスは出来るけど、唇が触れる度、もっともっと蓮に触れたくて辛くなる。
夏大が始まる前は今ほどラブラブ度は少ないが、なにより触れ合えた。制限はあったがHだって出来た。

「ようするにお前より野球が大事って事じゃん。いいの? お前それで」
「――っ」

涼の言葉に言い返すことが出来なかった。涼の言っている事は的確すぎた。

「俺、野球部のあの特別感、すげー嫌い。なんで全校で応援に行かなきゃねんねーわけ? くっそ暑い中興味ねぇのにさー」

涼は心底イヤそうな顔をして愚痴り始めると、

「トモだけがこんなにいっぱい我慢しなきゃなんねーなんてさ、おかしいじゃん。うん、おかしーって!」

だんだんと口調が強くなってきた。

「そろそろガツンと言っちゃえよ。お前イイ奴すぎんだって! な!?」
「うん……」

憤慨している涼に朋久は力なく笑みを浮かべ、答えを誤魔化した。
涼の言っている事は一理ある。かなり我慢をしている。
しかしあの蓮の幸せそうな笑顔も、新婚生活のような甘い空気も、ただもっとヤりたいというだけでこんな気持ちになるのだろうか。

我慢の限界――本当にそれだけなのだろうか――。
>>続く
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