――そりゃーさ、ヤりたいよ……でもさ……。

帰宅して夕飯の支度をしながらも、ずっと朋久は涼に言われた事を考えていた。
笑顔が増え、少しでも昔の蓮に戻ってくれたのは嬉しい。
何気ない事で一緒に笑い合える事に幸せを感じる。
でも、だから余計相手を愛おしく思う度触れたいと強く思ってしまう。
ぶっちゃけやりたくてたまらない。
一人で虚しく処理をするたび、記憶の中の蓮じゃなくて本物を抱きたいとさらに想いが募る。

――でもさぁ……応援したいじゃん。蓮すげー頑張ってんだもん。

夕飯を食べながら居眠りしてしまうほど、毎日早起きして朝練行って、夜遅くまで練習をして。
蓮が必死になって目指している夢。
邪魔は出来ない。したくない。

――でもさぁ……でも……

涼の言葉が脳裏を巡る。

『野球よりおまえの方が大事って事じゃん』

あの時、違うって反論出来なかったのは、それは自分自身も内心そう思っているからだ。
蓮の最優先は野球。甲子園。
でもそれと自分達の想いは別。
そう納得して付き合ってきたつもりだったけれど、涼にハッキリ言われて、その言葉が胸に突き刺さってしまった。
どうしてもとお願いしたら、蓮は受け入れてくれるのだろうか。 

――そしたら野球と俺、どっち取るのかな……
「って、何考えてんの!? 俺!」

ハッとして、今考えていた事に慌てた。
今ハッキリとわかってしまった。もやもやの原因。
完全野球に嫉妬しているせいだ。
蓮の機嫌がいい理由は「試合に勝っているから」であり、ツンデレで天の邪鬼なあの蓮を、素直で可愛い蓮に変えたのは「野球」。
自分ではないからだ。

「最低だ、俺……」

思わず頭を抱えた。
嫉妬深いとは思っていたが、まさか無機質に嫉妬するほどだなんて。
県大会が開幕する少し前、6月末から約1ヶ月。ここまで我慢できたんだ。
あと2回勝てば甲子園。
決勝まであと2週間。
そうすれば野球中心の生活は終わり、蓮の一番は自分になるはずだ。

「そ、そうだよ。所詮はヤツは期間限定じゃんか!」

無理矢理笑顔を作って頭を上げた。

「ここは男の余裕を見せてさ、優しく蓮を見守る方がカッコいいんだよ。俺、大人だし!」

キッチンで一人で無機物相手に「フフン」と、余裕のポーズを決め、無理矢理自分を納得させると、

「そうと決まれば、よし! 続き!」

朋久はようやく料理の続きを始めた。

「……ん? あれ?」

しかし調味料の入っている引き戸を開け、小麦粉の入ったタッパーを取り出すと、再び朋久はがっくりと肩を落とした。

「あっちゃー……足りねぇー」

先週唐揚げを作った時、ほとんど使ってしまった事を思い出した。
買おうと思っていてすっかり忘れていた。

「蓮、帰って来ちゃうかなー。どうしよう。家に行った方が早いかな」

うだうだ余計なことを考えていたせいで、いつもより支度時間が遅くなった。
今から駅前まで買い物に行けば、おそらく蓮と鉢合わせになるか、最悪行き違ってしまう。
実家にもらいに行けば往復で十分。行き違ってもそんなに時間のロスにはならないと考え、朋久はキッチンから出た。
一応ダイニングテーブルに「ちょっと家に行ってくる」と走り書きでメッセージを残し、小麦粉のタッパーを持って急いで家を出た。

――蓮、帰ってくるかな?

実家へ戻る途中にある三叉路、何気なく駅に続く道へと目を向けると、その先に偶然にも本当に蓮がいた。

――ナイスタイミング! やっぱ運命だな!

いつも肩にかけている大きなエナメルバックと体型で、遠くからでもわかる。

「れ――」

嬉しくなってかけ寄ろうした瞬間、朋久はその声を慌てて飲み込み、隠れるように今来た道を戻った。
駆け足で蓮の家に帰る。
蓮は一人ではなかった。
その隣に、蓮と同じ制服を着た長身の男。
暗かったし遠かったけれど、雰囲気でそれが誰だかは朋久にはわかった。
蓮以上に絶対間違えない自信があった。

――なんで?なんで隼人と蓮が?

蓮と一緒にいたのは隼人だった。
隼人の家と蓮の家へ別れる分岐点。そこに二人で立って何か話をしていた。
ということは、もしかしたら学校から一緒に帰ってきていたのかもしれない。

――なんで? なんで?

中学の時、隼人の事を好きになった蓮。それを隠そうとしておかしな行動に出て隼人と仲がこじれた。以来ずっと冷戦状態だ。
隼人からも蓮からも、お互いの話は聞かない。
名前を出すと不機嫌になるほどだ。
それなのに。
いつの間に一緒に帰るほど仲がよくなったのだろうか。
そんな話、聞いていない。

「だから嫌だったんだ」

同じ学校、蓮は野球部で、隼人はそれを全力で応援する応援団――自分の知らない場所にいる二人。
蓮と隼人が一緒にいると知っただけで嫉妬してしまい、その事で今まで何度も蓮とケンカをした。
その度、蓮は過去のことは忘れろと、もう隼人に気持ちはないと言い続けた。
それでも、もっといい学校を狙えた蓮が、幼い頃に交わした何気ない約束のために、隼人と同じ高校を選ぶほどの強い想いがあった事を、朋久は忘れることが出来ないでいた。
隣にいて、一番近くにいたのに自分に向けられなかった想い。
蓮の中から隼人への想いを追い出す事は出来たし、今蓮は自分の方を向いてくれている。
なかなか言葉にしてくれないが、躯を重ねると蓮の自分への想いがひしひしと感じる。
蓮の気持ちを疑っているわけではない。
でも、あったから。
蓮が隼人を好きだったという過去、想いが確かにあったから、なにかのきっかけでその想いが復活してしまうかもしれないと考えると、嫉妬でおかしくなってしまう。
そして。

――隼人のため、だったんだよな……。

忘れていた事を思い出した。
蓮が甲子園を目指している本当の理由。きっかけ。その意味。
そして自分がここにいる理由を。
玄関のドアを閉めた途端、朋久は膝から崩れ落ちた。
甲子園に行くこと――幼い日に隼人と約束した事を叶えるため、そして隼人への気持ちにけりを付けるため。
隼人を吹っ切るために甲子園を目指すという蓮に協力して、自分は今までバックアップしてきた。
その途中で蓮の気持ちは自分に向いて、隼人への想いを吹っ切った。
もう隼人の事は好きじゃないと言う蓮。
わかってる。
隼人にはベタ惚れの付き合っている子がいるし、蓮にも自分がいる。
あの二人の間には何もない。あるはずがない。

――でもじゃあ、なんでまだ蓮は甲子園を目指すの?

目指していた理由はもうないはず。
高校球児の夢だから?
それは恋人に不憫な我慢を強いてまで、叶えなければならない事なのだろうか?
さきほど吹っ切った涼の言葉がまた脳裏を巡った。

『野球の方がおまえより大事ってことじゃん』
『お前ばっかりなんでそんなに我慢してんの?』

隼人と同じ高校だってだけでも嫌なのに、蓮は滅多に好きだって言ってくれないし、今はエッチもさせてくれない。
自分で勝手に始めたことだけど、今の状況はしんどすぎる。
蓮を追いかけている去年の方が余裕があった気がする。
蓮を捕まえて自分のものにしたら、逆に苦しくなった。
ようやく手に入れた蓮を誰にも渡したくないあまりに、蓮の心を動かすものに嫉妬するようになった。

−−まじかよ……

野球も隼人も、イチローも礼子さんも、いろんなものひっくるめて、蓮の一番が自分じゃなきゃ嫌なんだ。

−−そんなの……引くだろ……

蓮への気持ちの想像以上の大きさに気付くと、朋久は頭を抱えた。
>>続く
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