一年前――。

「あれ? あの佐和ってピッチャー、圭が探してたあの時のピッチャーじゃない? そんな名前だったよね?」

 マウンドにいる投手を見てそう言うと、圭吾は「そうだよな?! やっぱり!」と鼻息を荒くして前のめりになった。
 梅雨明け宣言が出た直後の週末。
 修二は、リトルからずっと一緒に野球をやっていて、今でもバッテリーを組んでいる親友の圭吾と一緒に、受験する予定の私立野崎高校の試合を見に来た。
 そこで偶然、相手校に去年シニアの試合で対戦した投手を見かけた。

  「一歳上だったんだー。高校生ならシニアにはいないはずだよー」

 マウンドで豪快に球を放つサイドスローの投手を見ながら、修二は溜息を吐いた。
 あの速球に手も足も出なかった。
 初めてノーヒットノーランをやられた、忘れようにも忘れられない試合だった。

「球、速くなってる気がする」

 ぼそっと圭吾が呟く。
あの試合の後もどこの学校の誰なのか、また対戦出来ないかとずっと言っていた。
 同じ投手だからなのか、小さい体で百四十キロを近くの速球を投げるこの投手をずっと探していた。
 背がさほど大きくなく、幼く可愛らしい顔立ちから、ずっと二人は同じ歳か下だと思いこんでいた。わかっていたのはコールされる「佐和」という名字だけ。チームの所属学区はわかっても範囲が広いので学校まではわからない。
 同じチームで再び試合をした事もあったが、その時はもうあの投手――佐和はいなかった。
 だから引っ越ししたのかとか、怪我で野球を辞めたのかと再び出会える事は半ば諦めていた。

「道理で今まで情報が入ってこないはずだよなー」と、修二が溜息混じりに言うと、
「あの人、喜多川行ったんだ……」

 圭吾がぽつりと呟いた。

「うん。年上ってのもだけど、喜多川って意外だよな。あれだけの球、常陽とか私立から誘いが来そうなのに。なんで喜多川なんだろーな。もったいない」

 それに修二も頷いた。
 佐和は当時から中学生離れした速球と、決め球で放る魔球のような深く落ちるシンカーを持っていた。
 そんな投手を、強豪校がほっとくわけがない。

「去年甲子園行ったからかな? 結構部員増えたって聞いたし」

 圭吾が首を傾げながら答える。
 喜多川高校は去年の夏、甲子園初出場を果たし、ベスト十六まで行ったが、それまでは初戦敗退の無名校だった。
 甲子園出場後、地元はもちろん大変な盛り上がりを見せ、中でも当時三年の遊撃手は走攻守すべてで活躍し、さらにキリッとした容姿も加わって大会注目選手としてメディアによく取り上げられた。
 ドラフト前には、喜多川高校から初のプロ野球選手誕生かと街中が沸いた。
 結局彼は大学に進学したが、それでも甲子園出場の実績とその人気の効果はすごく、翌年の野球部員はかなり増えたらしい。現にライトスタンドの応援席には、練習試合にも関わらずベンチに入れなかった部員が結構いる。

「でもさー、三年が抜けた後は負けっぱなしだったし、私立蹴ってまで行くほどじゃないと思うけど」

 当時から甲子園出場は奇跡だという声も多く、実際甲子園で活躍した三年が引退した秋の大会では一転、喜多川高校は初戦敗退。練習試合でも勝率は高くないと聞く。今春も地区大会止まりで県大会にも出られなかった。

「ま、別にいーじゃん。とりあえず見つかったんだし」

 でも、そんな事は別にどうでもいい。
 修二はそう言って本来の目的でもあるその対戦相手・野崎高校ナインの方に目を向けた。
 野崎高校は甲子園常連校というほどではないが、過去に何度か出場経験のある私立高校。
 投手は技巧派。ストレートを中心にカーブ、スライダーを合わせた的確な捕手のリードで喜多川高校を抑え、打たれても守備で危なげなくきっちりアウトを取った。
 あの佐和の速球に最初こそ苦戦していたが、回を増すごとにタイミングを合わせてきている。
 五回になると、毎回ランナーも出ている。

「やっぱ野崎上手いね。あのピッチャーの速球にも合ってきたし、さすがー」

 憧れの甲子園に近い、レベルの高い高校のプレーを見ているうち、修二はこのチームに入る事が俄然楽しみになってきた。

「……ねぇ、修ちゃん」
「ん?」
「あのキャッチャーのリード、どう思う?」
 
しかし、圭吾の方はまだ例の佐和という投手に拘っているようだった。

「え? あーうん、いまいち……かな。速球とスライダーばっかりで、あのすげーシンカー出さないし。あ、もしかして上手く捕れないから他で何とかしようと思ってるのかも」

 確かに球は速くなってる。スライダーもすごくキレがいい。さすがだと思う。
 しかし見ていて正直もどかしかった。あの魔球を知っている身としては、「ここはあの決め球だろ」と思う場面が何度かあった。
 出し惜しみじゃない。これは絶対に「捕る自信がないから」だ。そう素直に感想を零すと、

「やっぱり?」

 圭吾はそう言ってまた黙った。

「まだ気になるの? あのピッチャー」
「うん……まぁ……」

 圭吾の目はずっと佐和を見ている。
 バッターの方は見ていない。

「ピッチャーも気になるかもしれないけど、ちゃんと野崎の方見とけよ。あそこでプレーするんだから」

 そう言って笑ったが、圭吾は小さく「うん」と答えただけで、また相手ベンチを見つめていた。
 その日の帰り、野崎のレベルの高いプレーを見た事に興奮した修二が圭吾に話を振るも、圭吾はずっと相づちを打つだけで言葉少なだった。
 修二が一方的に話すだけ、すぐに沈黙が訪れる。

「……圭、どうした? 気分悪いの?」
「ううん。大丈夫」
「……そう?」

よくわからない嫌な予感と、もやもやしたものが修二の中に残ったが、家に帰って観戦の感想を家族に話しているうちに、そんなものはすっかり忘れていた。。
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