中学を卒業して早々、入学までまだ三週間もあるにも関わらず修二たち新入生は入寮し、そして野球部の練習に参加させられた。
 その練習スケジュールは修二の想像以上だった。
 早朝五時の朝練から夜九時まで、野球部は全員寮生活の為、使える時間は全て野球に使われる。
 しかも朝練は一年が道具出しやグラウンド整備をする為、先輩たちよりも三十分早く集合しなけらばならない。
 午後はナイターの明かりが付き、夜九時まで練習。
 もちろん片づけも一年の仕事で、練習でくたくたになっている修二が部屋に帰れるのは十一時近くになった。
 親元を離れた慣れない寮生活と、いきなりのハードな練習の毎日で早々に体調を崩す者や、付いていけずに脱落する者も続出した。
 シニア引退後も欠かさず体力作りをしていた修二だったが、それでも部屋に帰って気が付いたら朝だったという状態が続いた。
 しかし、このくらいしないと甲子園なんて行けないんだと、甲子園に行って圭吾を見返すんだという気持ちだけで、修二は必死に練習に食らいついた。
 そして野球部の猛練習に耐えて七日目の朝――

「お前らよくがんばったな。いい顔つきだ。今年は期待出来るな」

 初めて会った時からずっとむっとしたいかつい顔で、ただ恐怖の対象でしかなかった監督が、そう言って初めて笑みを浮かべた。

「今日から通常メニューだ。安心しろ」
「え?」

 今までと雰囲気が違う朝礼に戸惑う一年を前に、監督とキャプテンが今までの練習メニューについての意図を説明された。
 この怒濤の一週間は、夏に組まれる練習スケジュールだったらしい。
 たった一週間でも付いて来れないようでは、この先もない。
 推薦入学者は、退部すれば退学となる。成績が良ければ一般学部に編入出来るらしいが、それもわずかだ。
 後から退学するよりは、早く見切りをつけさせた方がいいだろうとう考えから、毎年早めに入寮させ、地獄の夏を経験させるのが、この野崎高校野球部の伝統だと言うことだった。
 新入部員は当初の三分の一まで減っていた。
 しかし、これでも残った方だと監督は言う。

――ってことは、最初の試験に合格したんだ。

 修二はこの一週間、きちんと練習についてった自分に自信を持った。
 あれが毎日続くのは本当に地獄だとは思うが、しかし受験で鈍っている体で付いていけた。これから練習を重ねれば体力も付く。
 修二は一気にやる気が満ちあふれた。

――いける。甲子園、絶対行ってやる!
「今朝の練習はランニングのみだ。十周終わった奴から上がれ。練習は十時からだ。それまで自由にしてていい。各自部屋でも片づけてろ。おおかた荷解きもまだだろ」

 ずっと怒鳴ってばかりだったキャプテンの下館がそう言って笑った。
 そう言えばずっと練習づくめで、必要最小限の荷物しか、箱から出していない。
 心当たりがある者ばかりなので、下館の言葉に周囲からクスクスと笑い声が聞こえた。
 ピンと張りっぱなしだった糸が緩んだ瞬間だった。
 修二も監督とキャプテンの本当の人柄を知り、ホッとして入寮して初めて笑みを浮かべた。

「あーそうそう、人数が減ったから部屋割りも変更になるからな。同室希望者がいれば今週までに俺かキャプテンの下館の所に来るように」

 監督は最後にそう言うと、寮に戻っていった。
 寮は基本二人部屋。しかしバッテリーで入学してきた者以外は、適当に部屋を決められ、修二も知らない中学出身の選手と同室になった。
 ドアを中心に、左右の壁側にベッドと机が置かれている左右対照的な部屋。
 部屋の真ん中をカーテンで仕切れるとはいえ、初日は知らない人との共同生活に、緊張とストレスで寝れなかった。
 しかし、翌日から野球部の練習が始まると、疲れきってしまって同居人のことなど気にする余裕もなくなった。
 その同居人がいつのの間にか部活を辞め、寮を去った事にすら、丸二日気が付かなかったくらいだ。

――まぁ、どっちにしろ知らねーやつばっかりだし、俺は誰でもいいけど。

 修二はそう思って、黙々とグランドを走っていた。
 同居人が変わったところで、どうでもいい。同じシニアのチームメイトは数人いるが、同室になりたいとか、心細いとかそういった甘えた気持ちは修二にはない。
 一週間練習を一緒にやってきたメンバーだけれど、修二は周りを全く見ていなかった。
そんな中。

「ね、君、ヤマト君……だったよね? ね、俺と組まない?」

 ランニング中、修二に突然声をかけてきた奴がいた。
「は?」
「あ、俺宍戸良介《ししどりょうすけ》。ね、ヤマト君てさ、捕手でしょ? 俺投手なんだ。ね、どう?」

 圭吾より少し高いだろうか、笑顔の爽やかな長身の男だった。

「……お前の相棒はどうしたんだよ」

 たいていバッテリーはずっと組もうと思うもんだろうと修二が聞くと、

「あっちは常陽行った」

 良介は爽やかな笑顔を崩さずそう答えた。

「常陽? なんでお前は一緒に行かなかったんだよ」

 常陽という答えに、修二は目を丸くした。
 常陽高校といえば、甲子園での優勝経験もあり、去年の春と夏に甲子園に出場した、今もっとも甲子園に近い強豪校だ。推薦を取るにも、県や全国を経験していないと難しいと言われる。
そこに行ける実力がある奴と組んでいたという事は、この投手も相当の腕があるという事だ。

「だって別のヤツとも組みたいじゃんか」
「――え?」

 さらっと言い放った良介の言葉に、修二の足が思わず止まりそうになった。

「常陽行こうかなって思ったけど、でも同じ高校だったらお互いにやりずらいでしょ。浮気みたいでさ。だから俺はここにしたの」
――他の奴と組みたい?

 修二にとっては衝撃な一言だった。
 バッテリーの関係は特別だ。修二はそう思っていた。
 今までも気弱な圭吾を必死で励まし、一緒に考え成長して、引っ張っていった。
 だから、圭吾が自分と違う道を歩むと知った時ショックを受けた。
 自分はずっと一緒にやっていくと信じて疑わなかったから。

――こいつも……圭吾と同じなのか?こいつの相棒《キャッチャー》もショックだったに違いない。

 しかし、それを良介は何でもないことのようにさらっと言った。
 圭吾でさえ、言い淀んでいたのに。

「俺ね、ヤマト君の事ずっと目ぇ付けてたんだ。ここってバッテリー固定なんだね。相手のいないキャッチャーいないからびっくりしちゃった。でも君も相方いなそうでさ、ホッとしたよ。しかもあのメニューきっちりこなしてたし、すげー奴見っけって思ってたんだ」

 良介は修二の動揺を気にもせず、にこっと可愛らしい笑顔を見せる。
 圭吾のような、邪気のない人懐っこい笑顔。
 顔は全然似ていないのに、その笑顔は圭吾の事を思い出させた。

「だからさ、俺の条件にドンピシャなんだ。どう? あ、ちなみに俺もちゃんと全部クリアしてるし」

 圭吾と同じ考えを持つ、同じ雰囲気を持つこの投手に、修二は妙に惹かれた。

――こいつは捕手の事をどう思っているんだろうか。
――こいつといれば――圭吾の気持ちが分かるのだろうか。
「それから、自分で言うのもなんだけど、俺と組んで損なないと思うよ。こう見えて俺、全国優勝投手なんだよね」
「……そんなに言うなら、お前の球受けさせろ。話はそれからだ」

 全国を経験している、それも優勝投手だと聞いて、ハッとした修二は、色々聞きたい気持ちを押さえつけそう言った。
 今更圭吾の気持ちを知ってどうなる。
 そんなの知る必要なんてない。
 ただ自分の元を去って行った事を圭吾に後悔させてやればそれでいい。
 だから、何はともあれレギュラーを取らなければ話にならない。
 引っかかるものを感じるが、全国優勝投手だという良介はバッテリーを組むのに最適だ。
 投手が良ければ、レギュラーも夢じゃない。

「おっけー! じゃー、後でな」

 修二の答えに満足した良介は、そう言うとランニングのスピードを上げ、修二を追い抜いて行った。

――ラッキーかも、俺

 良介の後ろ姿を見ながら、修二は緩む頬を必死で隠した。
 正直組める投手に期待をしていなかった。いたとしても、大した事ない奴だろうと。
 だから実力に差がある、組みたくても組めないようなバッテリーから、そんなヘタレ捕手から投手を奪おうと考えていた。
 けれど、良介のような優秀な投手が一人で入部してくるなんて。

――みてろよ、圭吾。俺ぜってぇ負けねぇからな!

 修二もランニングのスピードを上げ、良介の後を追った。
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