可愛い人

 これを運命と言わずになんというのか。
 柏豊は、ドキドキしながら野球部のグラウンドに向かって歩いていた。
 ――小さくてとても可愛い子と並んで。


 助っ人に駆り出された柔道部の練習試合で、豊は日曜日に一歳上の兄が通う喜多川高校へ訪れた。
 他校に行く事なんて滅多にないし、ついでに兄のいる野球部の練習風景でも見に行ってみようかと思った豊は、試合終了後その場で柔道部員達と別れ、野球部のグラウンドに向かった。
 喜多川高校はブレザーにチェックズボンの制服だが、豊は学ラン。夏服だから上着は着ていないが、真っ黒なズボンの豊は一目で他校の生徒だとわかる。
 さらに189cmの高身長に、豊は時折すれ違う喜多川高の生徒に不審な目を向けられた。

(他校の敷地を一人でウロウロするのはまずかったかな……)

 度胸と人懐っこさには自信があったが、さすがの豊も居心地の悪さを感じていた。
 しかし、兄に迎えに来てと連絡をしたところで、速攻追い返されるに決まっている。

(仕方ない、諦めるかー)

 今度は誰か引き連れて来ようと思い、今日の野球部訪問は諦めようと思ったその時、野球部の練習着を着ている子が豊の前を横切った。

「あ、あのっ!!」
「え? はい?」

 とっさに声をかけていた。

「あの、俺柔道部の練習試合で来たんだけどそれが終わって、野球部が兄に、いや、えっと兄がいて、それでちょっと見てみたいなって思って。あの」

 他校を一人で歩いていた緊張と、不審の目で見られた焦りで、勢い良く近づくと状況をまくし立ててしまった。
 自分の肩くらいの身長のその子は、自分を見上げて驚いていた。

(やばい、これじゃー怖がられるっ)
「あー、お兄さんに会いに来たんですね。じゃぁグラウンドまで案内します」

 しかし、その子は不審な顔一つせず、豊の説明を理解するとにっこりと微笑んで、豊をグラウンドまで連れていってくれると言ってくれた。
 それが豊の運命の相手・馬橋光だった。
「あ、ありがとう」
「いえ。僕もちょうどグラウンド行くんで」

 最初は小さくて優しい可愛らしい子だな、と思っただけだった。
 この間家に遊びに来ていた、兄・圭吾のお気に入りの先輩・佐和も、背が小さくて可愛い顔をしていた。
 光はその佐和よりもさらに背が低い。なおかつ、まだ一年生だとわかる純粋さが、光にはあった。

(佐和さんといい、ここの野球部には小さくて可愛い子が多いのか?)

 自分の背が大きいせいか、豊は昔から自分より小さいものには目がなく、それこそ老若男女問わず皆「可愛い」と思える対象だった。
 妹はもちろん兄でさえ、身長を抜かした時から可愛い奴だなと思ってしまったほどだ。
 ずっと苛ついていた間の抜けた兄の性格も、一つしか違わないのに兄貴風を吹かせる偉そうな態度も、驚くほど気にならなくなり、すべて許せるようになった。
 中学1年までは兄との喧嘩は絶えなかったのに、おかげで今では激しい喧嘩はしなくなった。
 長身だけではなくそのおおらかになった性格のせいで、弟だとわかっている人でも、豊の方が兄っぽいとよく言われるようになった。
 兄はそれが気に入らないらしいが、そんな嫉妬さえも可愛いと思えるほど豊の「自分より小さいものフェチ」っぷりはすごかった。
 その中でも光は別格だった。

「あの、俺一年なんで敬語じゃなくていいっす」
「え、そうなの? 大きいからてっきり先輩かと……俺も一年だからそっちも敬語じゃなくていいよ」

 そう言ってにっこりと笑う光に、胸がきゅんと締め付けられた――かと思ったら、

「それにしても大きいねー」

 自分を見上げるその瞳に、瞬時に心を奪われてしまった。
 出会って3分であっさり恋に落ちた。

(大きいってなんだよ、おいおい) 

 今までで一番トキメていている。
 「デカい」とは今まで散々言われてきたけれど、「大きい」なんて可愛く言ってくれるのは、通りすがりの幼稚園児くらいだ。

(今時そんな風に女子だって言わねぇぞ)

 大きな黒い瞳とその純朴そうな柔らかい口調に、豊の胸がさきほどからきゅんきゅん鳴っている。
 自分より小さい人なんてそこら辺にいるし、こう見えて意外とモテるので、好みドストライクのかなり可愛い女の子に告白された事だってある。
 それでも出会って数分でこんなに惹かれる人なんて今までいなかった。

「いやぁ、無駄にデカくなっちゃって」

 胸のときめきを隠しながら、頭をポリポリ掻く。

「俺小さいから羨ましいな」
「そ、そんなことないよ!!可愛いじゃん!」
「え、俺が?」
「あ。いやっ、うん。ごめん、俺デカいから自分より小さい子って可愛く見えるんだよね」
「あはは、そうなんだー」

 男相手に「小さくて可愛い」と言うと、たいてい怒られる。しかし、光はそんな豊の失言にも素直に笑って返した。
 そんな光の照れ笑いが、矢となってまた豊の胸を射る。
 色んなものにしょっちゅう「可愛いなぁ」とトキメいているが、男相手にこんなにも胸がきゅんきゅんしっぱなしになったのは初めてだ。

「あ、あそこがグラウンドだよ」

 見えてきたグラウンドを指を指し、光がにこっと笑った。

(うっわぁぁぁ〜〜。可愛い〜〜〜っ)

 その笑顔に思わず顔が赤くなってしまった。
 今すぐぎゅっと抱きしめたい。そんな衝動に駆られる。

(うちの野球部にはこんな子いないぞっ?!野球部どころか学校中探してもいねーよっ)

 豊の学校にいる同じような背の低い子は、皆生意気で可愛くない奴らばっかり。
 女の子でもこんな素直な笑みを浮かべる子なんて、久しく見ていない。

「今昼休み中だからまだ部室にいる人もいるし、俺呼んでくるよ。お兄さんって誰?」

 グラウンドに着くと、そこには数人の野球部員がチラホラ散らばっているだけだった。

「あ、んーと……」

 しかし、光に兄の名前を言うよりも先にその人を見つけた。

「あ、いた。佐和さーーーん!」
「え? 佐和先輩がお兄さん……じゃないよね? 知り合い?」

 思いきり大声で叫んで手を振ると、光はびっくりした顔で豊を見上げた。

「まーちょっとした、ね」

 にっこりと笑うと、光は不思議そうな顔をして首を傾げた。

「豊君? え、どうしたの? しかも馬橋と一緒に」

 豊に気が付いた佐和が驚いて駆け寄ってきた。

「なんでお前がここにいんだよ」

 そして予想通り、その隣に兄の圭吾がいた。
 仏頂面で。

「え? 柏先輩とも……ってゆーか、あ! もしかして柏先輩がお兄さん?」
 
 圭吾の口調で気が付いたのか、それとも似ているところがあったのか、光が目を丸くして圭吾と豊を交互に見比べる。

「ピンポーン☆柏豊ってゆーんだ。よろしくね」

 その様子がまた可愛くて、思わず頬が緩む。

「柏先輩の弟だったんだぁ〜。そう言われれば似てるかも」
「え、そう?」

 ずっと驚きっぱなしの光に、にこっと笑った。
 思いがけずドッキリ大成功みたいな雰囲気で、光との距離が縮んだ気がした。

「何、カッシーの弟? へぇ、似てるけど弟の方がかっこいいな」
「でかっ! 兄の間違いじゃねーの?」
「お、弟男前じゃん!」

 グランウンドの隅で話をしていると、他の部員も何事かとチラホラ集まってきた。

「で? なんだよ、お前何しに来たんだよ」
「あ、そうそう」

 弟の高評価に面白くなさそうな顔をして圭吾が聞くが、豊は圭吾を無視して用意していた差し入れを鞄から取り出し佐和に差し出した。

「はい、これ差し入れです。みんなで食べて下さい」
「うわ、うまそー! ありがとう」

 昨日の夜、気合いを入れて作ったフィナンシェを佐和は笑顔で受け取った。

「たくさん作ったから足りると思うんですけど」

 そう言った瞬間、周囲が湧いた。

「え? もしかしてコレ手作り?! 弟の?」
「マジで?!」
「豊君、こう見えて料理得意なんだよ」

 大量の美味しそうなお菓子が豊の手作りだとわかりがどよめくと、佐和が微笑みながら説明した。
 それが身内を紹介するみたいに自然で、気分が高揚した。

「佐和さんちっともウチに来てくれないからさ。午前中ここで試合だったんで、ついでに会いに来ちゃいましたー。やっぱ野球のユニフォーム似合いますね!」

 満面の笑みで微笑むと、

「あー……あはは、ありがとう」

 佐和は照れ笑いを浮かべた。
 その笑顔はやっぱり可愛らしく、来てよかったと思った。初めて会った時、兄の話を聞いて想像していた人よりずっと可愛い顔で背が小さかった佐和を豊は一瞬で好きになった。
 もう一度会いたいと思って、差し入れを作った。 
 そして、笑顔でそのお菓子を食べてくれる姿に、ほっこりした気分になった。
 しかし――。
 豊は自分自身に首を傾げた。
 予想外に感激が弱かった。
 正直、この差し入れは圭吾に負けないと佐和へのアピール目的もあった。
 だから、こんなに喜んでくれて嬉しいには違いないのに、それほど佐和へ必死になれない自分がいた。

「うん。お前、カッシーの弟で間違いない」
「お前柏家にモテるなー。てか兄弟で取り合い? 佐和はどっちがタイプなの?」
「はぁ?」

 圭吾が佐和の熱狂的なファンであるのは周知の事実らしく、他の部員が口々に佐和に絡み始めと、

「何言ってるんですか! 俺に決まってるじゃないですかっ」
 
 圭吾がムキになって応戦する。

「でも弟の方がかっこいいし、頼りになりそうだよ」

 いつものノリのいい豊なら、この台詞に乗って佐和に自分をアピールしていたかもしれない。
 しかし、そういう気にはならなかった。

「先輩はもう俺のものなんですっ!」
「っ、だからお前はそーゆー事言うなって!」

 頬をほんのり赤らめながら佐和が圭吾の尻に膝蹴りで突っ込みを入れたり、二人を冷やかす周囲にも乗れなかった。
 それは、二人の間の隙のない空気に負けを認めたとかそういうわけではなく。

「わ、美味しーい。本当にこれ作ったの?」

 豊のフィナンシェを口にして、キラキラした目で見上げる光のせいに違いない。
 光に「佐和狙い」だと誤解されたくないと、思ってしまったのだ。
 誤解も何も最初はそのつもりだったのに、今では佐和よりも光に夢中になっていた。

「……っあ、う、うん」

 眩しいくらいの純粋な瞳に、思わず言葉を詰まらせる。

「すごいんだね、豊君って」
(豊君? 豊君だって!! 言い方も何もかも可愛いんだけど! )

 佐和に名前を呼ばれた時よりも、数倍ドキドキした。

「ありがとう、えーっと……」
「あ、俺、馬橋。馬の橋で馬橋」
「馬橋……なに?」
「光だよ。馬橋光」
「ひ、かる……君、の為に……よかったらまた作ってくるよ」

 恐る恐る下の名前で呼び、どさくさに紛れて「君の為に」なんて言って、また来る口実をさりげなく作る。

「本当? ありがとう。楽しみにしてる」

 豊の下心など気づくはずもない光に邪気のない笑顔を返され、豊は目眩がして一瞬倒れそうになった。

(やばい、なにこの天使)

 兄がこの学校でよかった。
 練習試合に駆り出されてよかった。
 全てが繋がると、今日光と出会ったのは運命だ。
 そうとしか思えない。
 けれど、兄の隣にいる佐和と、今自分の隣にいる光を見て、豊は進学する高校の選択を間違えた――そう悔やまずにいられなかった。

(クソ兄貴め。もっと俺に喜多川薦めろよ。くっそう)

 その後、豊は「一緒に帰ろうぜ」と兄をダシにして、野球部が終わるまでグラウンドの脇でずっと光を見つめていた。

>>2へ続く
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