父親組は皆いい人で、兄の応援にわざわざ来たという豊を歓迎してくれた。
先日梅雨明けを宣言したばかりの初夏の日差しはかなり暑い。
氷と冷えた飲み物がたくさん詰まったクーラーボックスはかなり重く、この暑さの中でこれをいくつも運んできた彼らを心底すごいと思った。
体力に自信があった豊もすぐ汗だくになり、一個運んだだけでぐったりだった。
「お疲れー。さすが若い子いるとはかどるなー」
手慣れてる父親達に比べたら、たいした手伝いになっていないにも関わらず、佐和父はそう言って豊に冷えたお茶缶を手渡した。
「いえ、全然役に立ってないですよ〜。なんかすみません。お父さん達すごいっすねー」
どかっとベンチイスに腰掛けると、豊は受け取ったお茶を一気に口の中に流し込んだ。
冷たいお茶がのどを通って体に染み渡っていくのがわかる。
「はーーーうまーーー」
お茶の冷たさをしみじみ感じながら一息吐いていると、ベンチから喜多川高校野球部のメンバーが続々と出てきた。
「お、出てきたぞ」
佐和父の声に豊は姿勢を正し、グラウンドを見つめた。
メンバーがグラウンドに散り、試合前の守備練習が始まる。
――練習着とはやっぱ雰囲気違う。
ブルペンで投げている佐和と光を見て、豊は素直に「かっこいいな」と思った。
特に飄々と投げている佐和に対して、光の雰囲気は普段と違っていた。
緊張しているのか、いつものふわっとした柔らかい雰囲気はなく、顔が固まっている。
――緊張してんのかなぁ。可愛い。
そんな表情さえ可愛いと思ってしまう。
普段では絶対見られない表情に、見に来て正解だったとガッツポーズを決めたい気分だった。
――悠馬も緊張してるのかな。
ふと、いつもクールな悠馬の緊張している顔も見てみたいと思い、内野ノックの方に目を向けた。
「あれ? 圭吾?」
しかしキャッチャーポジションにいたのは兄・圭吾だった。
背番号2番をもらったことは聞いていたが、それでもキャッチャーは悠馬がやるんだと思っていた。
悠馬は天才野球少年としてかなり有名のようで、豊の学校の野球部員も悠馬の事を知っていた。
だから圭吾から悠馬が春に怪我をしたからと聞いても、もう治っているだろうしキャッチャーは悠馬なんだろうと。
しかし。
「え、悠馬ショートやんの?!」
慌てて悠馬の姿を探すと、なぜかショートのポジションにいた。
最初から内野手のような、無駄のない動きで軽快にボールをさばいている。
その姿は別に緊張しているようには見えなかった。
いつもの悠馬と変わらない、ポーカーフェイス。
「なんかさすがだな、悠馬……」
本当に1年生かと思うような堂々とした態度に、思わず感心する。
「綾瀬君と知り合い? すごいらしいよねーあの子。今年の注目選手だってニュースでも見たよ」
「ニュース?!」
豊の呟きに返って言葉に、思わず佐和父を見つめた。
「うん。どこかの新聞ではオールAつけてたし、あの子のおかげで今年の喜多川は注目されてるんだよー。たまにTVも来るって司が言ってた」
「TVぃ?」
改めて悠馬を見る。
圭吾からそんな話は聞いたことがない。
そもそも圭吾は佐和以外には興味がなさそうだし、今は周りを見る余裕がないのかもしれないけれど。
有名人だとは知っていたが、そこまでの選手だとは思わなかった。
しかし、衝撃はこれだけではなかった。
両校の練習が終わり、試合開始――スターティングメンバーの発表まで続いた。
一礼して試合開始。喜多川高校は後攻なので選手は一斉に各自のポジションに散らばった瞬間。
「え?!」
目を疑った。
《守りますー、喜多川高校のーピッチャー――》
そのマウンドに上がったのはエースの佐和ではなく――。
《馬橋君、背番号11、湖市中学校》
「光君!?」
《キャッチャー、柏君、背番号2、喜多川第一中学校》
「圭吾ぉ?!」
誰にも荒らされていない綺麗なマウンドでボールを投げているのは光で、それを受けるのは兄の圭吾だった。
「え? どういうこと? 佐和さんじゃないの? てかマジで圭吾キャッチャーやんの??」
「試合経験積ませるって言ってたよ」
混乱してつい口に出した豊の独り言に、豊の前に座っていたおじさんが急に振り返って応えた。
「え?」
「柏君はなにより経験が少ない。馬橋君もいい投手だけど高校野球は特別だからね。誰でも初登板は緊張するもんだから初戦から使っていくって監督の意見らしい」
そのおじさんはそう言って再び前を向いた。
「あ、こいつキャプテン(草野剛君)のお父さんなんだ」
突然の詳しい解説者の出現に豊が目を丸くしたまま固まっていると、隣にいる佐和父が笑いながら説明してくれた。
「よろしくな、弟君。カッシーはすごい努力家だって剛がいつも言ってるぞ。期待してるぞ」
再び振り返ってそう言うと、草野父は何故か嬉しそうににかーっと笑った。
「え、あ、ありがとうございます」
――あれが? すごい努力家? え……どこが??
首を傾げながら光の球を受けている圭吾を見つめる。
時折ボールをこぼしているその姿からは、努力家とか期待しているとか言う言葉をもらえるレベルではないような気がする。
キャッチャーはゲームの要。大事なポジションだという事くらい豊も知っている。
野球は小学校卒業と同時に辞めてしまったが、今でも一番好きなスポーツだ。
圭吾と同じ歳でずっと一緒に野球をやっていた近所に住む幼なじみに、どんなにキャッチャーが大変で面白いポジションかを延々聞かされたこともある。
「あーあ、どこ投げてんだよー。……もう大丈夫なのかなぁ、圭吾。ガチガチじゃん」
だからボール回しで2塁に暴投しているような圭吾が、悠馬のような優秀選手からポジションを奪うほどの実力があるとは思えない。
対照的にショートにいる悠馬は、通常のポジションではないはずなのに緊張などしていないように落ち着いて見えた。
暴投した圭吾に「どんまい!」と言うように、悠馬がグローブを2度小さく降る。
その仕草は1年生とは思えないほど堂々としている。
「悠馬の方がいいんじゃないのかな……」
「大丈夫だよ、圭吾君なら。綾瀬君も一目置いているくらいなんだから」
「悠馬が? 圭吾を??」
「馬橋君と柏君のコンビ、意外と息合うんだそうだ。面白いバッテリーだって剛も言ってたし。ま、大丈夫だろ」
「……」
豊の一言に、佐和父も草野父も笑ってそう言った。
この、圭吾に対する信頼はなんなんだろう。
光も悠馬も圭吾を信頼しているらしい。
自分の知っている兄とは違う、野球部の「柏圭吾」に、豊は眉をしかめた。
――てか、光君と息が合うバッテリーだなんて……なにそれ。そんなの聞いてねーぞ。どういう事だよ。
豊は緊張でガチガチになってる圭吾を睨んだ。
圭吾はぎこちなすぎる仕草で両手を挙げ「しまってこー!!」――と言ったのかどうかよくわからない、妙にトーンの高い声で謎の雄叫びをあげ、キャッチャーボックスに座った。
それに合わせてチームメイトが半笑いで一斉に声を出す。
その時、誰よりも大きな声を出していたのは悠馬だった。
ほんのり口許を緩めながら。
――……んだよ。俺にはちっとも笑ってくれないくせに。
悠馬の様子を見ていると、信頼――かどうかはわからないが、確かにいい関係を築いているように思える。
同じ部活の先輩後輩なのだから自分と比べるのもおかしいとはわかっているが、それでもあの圭吾に先を越された気がして、なんだかものすごく悔しかった。
こんな気持ちになるなんて予想していなかった。
「兄の応援」は口実だったのに。
しかし、悔しいがこうなったら圭吾にはしっかり任務を果たしてもらわないと困るわけで。
失望させるような結果になってしまったら合わせる顔がない。
――……光君達の信頼、裏切ったらただじゃおかねーからな、クソ兄貴っ。いいトコ見せろよっ!
プレイボールのサイレンが鳴る中、ムカムカする気持ちを抑えながら、豊は圭吾にひねくれたエールを送った。
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