その試合はいろんな意味ですごかった。
春の大会で準優勝というのはまぐれでも奇跡でもないのだということがわかった。
先攻の相手校を0点に抑えて迎えた初回裏――喜多川は最初の攻撃で一気に6点を先取した。
喜多川は春の県大会準優勝からの第2シードという立場だし、初戦の相手は過去最高3回戦までという格下の学校。一方的な試合になるかもとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。
初回表、相手校のトップバッターにいきなり左中間に安打された時はドキリとしたが、その後は何事もなかったかのように1塁に走者を残したまま、三人で抑えた。
どうやら圭吾だけでなく、光も緊張していたようだ。
初球を外した2球目、甘く入った球を打たれてしまった。
しかし光はそれで目が覚めたようだった。
顔つきが驚くほど変わった。いつもぽやんとしている穏やかな光が、見たこともないキッと攻撃的な顔になった。
マウンドに立つと性格が変わるタイプなのだろうか、態度も強気で、圭吾の出すサインにも容赦なく首を振る。
気に入らない球は投げない、そんな感じだった。
普段を知っているだけに、これがあの光なのか、と疑いたくなるほどの変わりようだった。
2アウトにすると積極的に声を出す。堂々とした態度。これが1年生だというのだから、やはりあの悠馬とコンビを組んでいた選手だけのことはあると、思い知らされた。
一方の圭吾は、相手の攻撃が終わるまでずっと引き締まらないままだった。
光への返球も乱れるし、初回は光にリードされなんとか持ちこたえたような結果だった。
受けたボールをこぼしたり牽制暴投などはなかったが、光ががんばっている分、見ていて気が気じゃなくて胃が痛くなる思いだった。
3アウトのコールで、心底ホッとした。
その後の喜多川高校最初の攻撃は、はらはらした初回表の鬱憤を晴らすかのような猛攻だった。
先頭バッターの初球安打から始まって、6番バッターまで攻撃が止まらなかった。
1番の神立はセカンドゴロだったのに足が速くギリギリだったが安打になった。あの足はすごい。さすが1番バッター。
2番東海(健)が2塁に神立を送り、守備ではいいところが全くなかった3番圭吾がまさかのセンター前ヒット。これには豊もびっくりした。あれだけふわふわしていた圭吾が、1塁ベース上でキビキビしている。
そしてワンアウト1、3累で、4番悠馬。
バッタボックスに立つ悠馬の姿に、豊は息を飲んだ。応援席はバッターボックスから遠いのに、なんというかここまで悠馬の気迫を感じた。

――すごい……

この言葉しか出てこない。これが注目される選手なのか。
絶対打つ。そう確信できた。
いい音を立て飛んだ打球はセンターの頭上を越え、フェンスにぶつかった。
もう少しでホームランというセンターオーバーの走者一掃3ベースヒット。
一挙に2点。その後もキャプテンの草野が悠馬に続けとばかりにヒットを放ち悠馬を生還させ3点目。
続く内郷・東海(文)と連続ヒットで、ワンアウト満塁。8番の亀有はゴロだったが、草野生還で5点。ラストバッターの光もなんとセカンドを抜けるヒットで6点目を入れた。
初回で打者一巡という猛攻に、応援席は盛り上がった。
相手投手は少々球が浮ついているが、こんなにボコボコ打たれるほど、調子が悪いわけではない気がする。
  1番に戻った神立はあの足でゴロを安打に変えたが、続く東海で打ち取られてしまった。
ようやく長かった攻撃が終わった。

「ふーーーーすごいな、キタ高やるじゃん」

長く息を吐いて、どかっとイスに座る。喜多川高校の攻撃力の強さに驚いた。
今日の相手が弱すぎるわけではない。去年の喜多川と格段にレベルが違う。この強さなら本気で甲子園を狙えると思った。
心配していた圭吾もなんとか活躍してくれた。本番に弱いタイプなのに、3番を打つなんて最初冗談かと思ったが、ヒットを打ち、1塁に立っているその姿に初めて素直にかっこいいと思った。

「圭吾君、活躍したねー」
「ホッとしました。あとは守備の方も落ち着いてくれれば」 

守備につく喜多川ナインを眺めながら佐和父と話をしていると、不意に周囲がざわめき始めた。
在校生の応援席から「きゃぁ〜」という女子の黄色い声が上がる。
何事かと周囲を見渡すと頭上からひゅーっと口笛と、「初回で6点かよ。容赦ねーな」という声が聞こえた。
驚いて振り返り、そこにいた男を見て豊は目を丸くした。

――小木津隼人!!

女子達がそわそわひそひそ、時折抑えきれない歓声をあげていたのは、この男が来たからだとわかった。
人気女優の堀木たまきと共演したCMが話題になり、今人気急上昇中の喜多川市出身のモデル、小木津隼人だ。
人気モデルのはずなのだが、そのCM以外ではTVに出ることはなく、雑誌のモデルも時折で滅多にその姿を見ない。
その小木津隼人が自分のすぐ後ろ、応援席の上段(在校席)と下段(野球部と父兄席)間の通路に立っていた。

――すげぇ……本物だ……。あ、そう言えばキタ高出身だっけ。

妹の恭子もそのCMで小木津のファンになり喜多川高校を受けるとか言っている。
変装なのか黒縁のメガネをかけているが、小木津の圧倒的に綺麗な顔と輝きはまさに芸能人。豊が固まってしまい声も出せず眺めていると、

「あ! 綾瀬和哉! ――君!」

豊の隣にいる佐和父が突然立ち上がった。
語尾に申し訳程度につけた「君」は、その声に相手が気付き、軽く会釈をしたせいだろう。

「綾瀬君だよね!? うちの子が君のファンなんだよ。喜多川行ったのもそれでさ。いやぁ〜〜〜会えて嬉しいよ!」

早口でそう言いながら、佐和父が慌てて豊の前を通り席から飛び出す。

「綾瀬?」

それで初めて豊は小木津の隣にもう一人男がいることに気が付いた。

「あ、ありがとうございます」

はにかみながら佐和父と握手をしているその男も、豊は知っていた。小さい顔、長い下まつげ、広めの綺麗なおでこ、そして「綾瀬」という名前。
綾瀬和哉――3年前喜多川高校が甲子園初出場した時のレギュラーで、その年の甲子園のアイドル的存在で話題になった選手。そして悠馬の兄だ。
父親組が佐和父の声に一斉に振り向いた。ここでは小木津より和哉の方が有名なのだ。

「応援に来たの? 弟君いるしね! あ、ここ! ここどうぞ!!!」

佐和父は自分がいた箇所に豊を促し、空けたスペースに和哉を座らせた。自分は草野父を奥に追いやりその隣に無理矢理座る。

――え、ちょ、綾瀬和哉が隣にいるんだけどっ?!
「ごめん、もうちょっといけるかなー?」

腕が触れるほど密着している席で隣に有名な和哉がいる事にドキドキしていると、その奥から小木津が豊に声をかけた。

「ひぇ!? あ、はいっ!」
――小木津隼人に話しかけられた!!

驚きながらもう少し奥に詰めると、和哉の隣に小木津が無理矢理座った。
 
「サンキューな。あれ、そういや制服違うけど誰かの兄弟かなんか? わざわざ応援に来たの?」
「え、あ、はい、えっと」
「柏君の弟の豊君だよ。学校は違うけど応援にきてくれたんだ」

小木津に立て続けに話しかけられ、舞い上がっている豊の代わりに、前の席に座った佐和父が嬉しそうに答えた。

「へぇ、カッシー先輩の。そう言えば似てるね」

佐和父の紹介に、和哉はにっこりと笑みを向けた。

「け、圭吾の事知ってるんですか?」

豊は和哉が圭吾の顔まで知っているのに驚き振り向いた。
短髪に長いまつげ――狭いベンチのせいか思ったよりもすぐ近くにあった和哉の顔に一瞬ドキッとしてしまった。
さっきは小木津のかっこ良さに圧倒されて気がつかなかったけれど、和哉も男なのに可愛い顔をしている。そう言えば甲子園のアイドルと言われ、クラスにも当時キャーキャー言ってた女の子がいた事を思い出した。
同時に悠馬に似てるなとも思った。
いつもムッとしているような悠馬よりも数段柔らかくて優しい顔であるけれど。

――悠馬も笑うとこんな笑顔になるのかな。
「悠馬の話によく出てくるからね。弟がお世話になってるみたいで」
「え? 圭吾が?」
「悠馬、カッシー先輩のこと大好きみたいだよ」
「え――」

ドキッとした。
そう言えば先ほど草野父も、佐和父も悠馬が圭吾に一目置いていると言っていた。
そういう意味ではないとわかっているが、あのポーカーフェイスの悠馬が、そんなに周囲にわかりすく圭吾の事を好いているなんて。

「豊君、悠馬君とも友達なんだって」
「へぇ、そうなんだー。兄弟そろってお世話になってるんだね。ありがとう」

和哉の笑顔に豊の心がズキリと痛んだ。
 
「いえ……そんな」
――友達って……言えるのかな、俺。

悠馬と自分はまともに会話をしたことがない。ただいつもついでにお菓子を渡しているだけの間柄。
悠馬のお母さんが悠馬が家で自分の話をしていると教えてくれた時は、身内の友達認定に嬉しくなったのに、和哉に言われると何故だか逆に騙している気になってしまった。
この気持ちは何だろう。
 
「光君と仲良くなって……それで悠馬君とも」

別に悠馬と友達でいいのに、まるで言い訳のように出会いを簡単に説明する。
最初は確かに光と仲良くなりたくて、悠馬は光の親友だからついでで話しかけただけだった。ちっとも自分に心を開かない悠馬に、ムキになって話しかけたりした。
でも、それはやっぱり友達になりたいからで。だから友達だと言ってもらえれれば、嬉しいに違いないのに。
 
「あ、そういうことかぁ。そう言えば光、今日先発だね。どう?」 
「すごいです。光君、なんか別人みたい」

話題が悠馬から光に移ったことで何となくホッとした。悠馬のことはわからないことが多すぎる。
自分の気持ちも悠馬の考えていることも。

「そうそう、光マウンドに立つと性格変わるんだよ。俺光のそんなトコ好きなんだよね」
「光君って昔からそうなんですか?」

悠馬のことよりも光の事が知りたい。そう思って光の事を聞こうと話を振った。

「うん。光って小さい頃から大人しい子なんだけど、野球の事になるとすっごい頑固なんだ。悠馬とケンカする事だってあるんだよ」
「へぇ〜、あの悠馬と? 光君が? 想像付かない」

あの温和な光がケンカする姿を想像してみたが、出来なかった。
マウンドにいる強気な光を見ても、やはり争い事には縁遠く思える。悠馬なら簡単に想像付くのに。

「どっちが折れるんですか?」

なんとなく答えは想像出来たが、どんな風に仲直りをするのか知りたくなった。しかし、和哉から返ってきた答えは予想と違っていた。
和哉は「悠馬」と即答で一言言うと、何かを思い出したようにクククと笑った。

「悠馬、光とケンカした日は分かりやすくてさ。ずっと俯いてて全然しゃべらなくなんの。で、そういう時はたいていケンカしてんだよ。アイツあー見えて寂しがり屋の甘えん坊だからね」
――悠馬が? 寂しがり屋の……甘えん坊ぉ?

豊は耳を疑った。思わずショートを守っている悠馬を見た。

「で、光は逆にずっとプンプンしてるんだよ。でも内心はやっぱ寂しいみたいで、悠馬が謝るととたんに光もしゅん、てなって謝るの」
「へぇ〜……」

光の方が強気でいつまでも怒っるタイプだという証言より、あの悠馬が光とのケンカくらいでそれほどまでに落ち込むとの事が衝撃だった。

――あの、悠馬が?

光の事を知りたいはずなのに、悠馬の事が気になって仕方ない。色々もっと聞きたい。知りたい。

「光が別人見たいだって事は、好調なんだね。捕手が悠馬じゃなくても変わんないんだ。カッシー君すごいね」
「いやいや、圭――あ、兄の方がリードしてもらっててなんかもう、恥ずかしっす」

しかし話題は悠馬と光から圭吾の話に変わってしまった。ここからどうやって話題を戻そうかと考えていたが、

「カッシー君、調子良さそうじゃん」

和哉の一言で、その思考も中断された。

「え?」

和哉との会話に夢中でしばらく圭吾の事を気にしていなかったが、改めて見てみると初回の守りよりも雰囲気が全く違っていた。
サインの交換がスムーズで、光もほとんど首を振らない。返球も乱れなく普通だ。
どうやら圭吾の緊張は解れたらしい。先ほどのバッティングといい、ベンチにいる間に何かあったのか、今では見違えるように自信たっぷりで声も出ている。

「本当だ……こっちも別人みたい」

2者三振。光が首を振っていないのを見ると、なかなかの好リードのようだ。

「ケーゴ君、ベンチで佐和ちゃんに喝入れてもらったじゃない?」

ククッと小木津が笑った。

「あ、そういうことか」

小木津の言葉に納得した。佐和が先発していればきっともっとすぐに目が覚めただろうが、今日はベンチスタート。
だから初回が終わるまでは圭吾に何も出来なかったのだろう。おそらくベンチに引っ込んだ後、佐和にケツでも蹴られたんだろう。
圭吾はよく佐和に蹴られると話をしている。嬉しそうに。

――しかし。

「あの、小木津さんなんでそんな事知ってるんですか?」

圭吾と佐和の関係なんて野球部関係くらいしかしらないのではないかと首を傾げると、

「うん。俺、ケーゴ君とライン友達だから。佐和ちゃんの話しょっちゅう聞くよ」
「えぇ?」

小木津が爽やかな笑みを浮かべた。

「お前、いつの間に」

それは和哉も知らなかったようで、驚いた様子で小木津を見た。当の本人は「ちょっとね」と言ってニヤニヤ笑みを浮かべた。

――圭吾って……すげぇのかも。

この時初めて兄である圭吾を心底すごいと思った。
野球部での評価や、どんなきっかけなのかはわからないが有名人と知り合いであること、そしてグラウンドでの姿――ここで見聞きする圭吾は自分の知らない兄だった。

――なんだろう、すごく……

急に、圭吾だけじゃなく光と悠馬も、グラウンドでプレーする彼らは別人のように感じた。
すごく、遠くにいる、住む世界が違う人たちのように。

>>>7へ続く
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