結局佐和は登板せず、エース温存のまま喜多川高校が5回コールドで圧勝した。
光と2年生ピッチャー・四ツ倉の継投だったが、光は3回までの登板でノーヒット。
喜多川にとって幸先のいいスタートと同時に、1年生投手の華々しい公式デビュー戦となった。

「光くーん! 光くーん! 初戦突破おめでとーーー!」

球場から出てくる選手達の中に光の姿を見つけると、豊は手を振りながら大声で叫んだ。
父兄と応援団で選手の列と豊の間にはちょっとした人の壁が出来ていたが、豊の大声と壁からぴょっこり突き出てた頭に、光が気付いた。

「あ、豊君! いえーい!! 勝ったよー!!」

完勝で気分が上がっているのか、爽やかな汗と笑顔で光が大きく手を振った。

「おめでと! やったね、やったね!!」

豊は繰り返し大声でそう叫びながら、二人の間を阻む人の壁を縫って光に近づいた。

「かっこよかったよ、光君っ!」

しかし豊が壁の向こう側に出た時、目の前にいたのは光ではなく悠馬だった。

「!?」
「わっ!!」

試合直後だからだろうか、悠馬の額には汗が滴っていて、いつもキリッとしている力強い眉が少し緩んでいた。
さらに、突然の豊の出現に一瞬目を丸くした悠馬の顔に、豊も驚きお互い一瞬言葉を失った。
いつもどこか豊に冷めた表情を向けていた悠馬の、初めて見る素の表情だった。

「……だってさ、光」

しかし、すぐに悠馬はいつものクールな表情に戻ると、豊から視線をはずし、自分の後ろにいた光に言葉を投げた。

「あ、ありがとー」

それを受けて光がはにかむと、悠馬は「よかったな」と一言いい、ふいっと豊の前を通り過ぎた。

「あ! 待ってよ、悠馬だって!」

光ともう少し話をしたいとも思ったが、だからといって悠馬をないがしろにするわけにもいかない。
心なしか歩みを早め、距離をとろうとした悠馬を慌てて追った。
悠馬のプレーにも、見とれるくらい感動したのだ。
それを伝えないでどうする。

「シュッと捕ってスパーンって投げてさ! もうすっげーかっこよかった!」

悠馬の歩調に合わせて並んで歩きながら、思いの丈を伝えた。
光と悠馬の活躍に加え、初めて観に行った試合での勝利に豊はかなり興奮していた。

「あんな綺麗なプレー、プロでも見たことないよ! 俺、マジ感動したもん!」

だから、言葉を選ぶ余裕もなく、本当に素直な感想を言っただけだった。
しかし、その言葉にそれまで豊を無視するように視線も合わせず歩いていた悠馬が突然歩調を緩め、驚いた顔をして振り向いた。

「え?」
「え? あ、いや、だからお前もすげーかっこよかったって話だよ。キャッチャー以外も出来るんだな」

悠馬の反応に豊は気持ちが先走って変な事を言ったかなと、ためらいがちにもう一度、今度はゆっくりと言った。

「え、あ、うん……あ、ありがと……」

すると悠馬は慌てて視線を外し、少しうつむきながら再び前に向き直した。

――え? 何? もしかしてテレたの?
「あれ? 悠馬テレてるーー?」

豊の心の声を聞いたかのような絶妙なタイミングで、後ろを歩いていた光が、その隣に駆け寄り、顔をのぞき込んではやし立てた。

――やっぱり?

思わず一緒になって悠馬の顔をのぞき込もうとしたが、

「うるさい」

そういうと、帽子を目深く被って目元を隠してしまった。
本当にテレているようだ。
テレビや新聞で騒がれているらしいし、あの才能じゃ誉められる事なんてもう慣れてると思っていた。
だから、こんな素人の感想にそんな素直な反応をしてくれる事がなんだかとっても嬉しくなった。

「インタビューとかさ、何言われてもいっつもしれっとしてるのに。珍しい〜」
「へぇ〜」
「うるさいってば」

光に意外な素顔を暴露され、ますます帽子が深くなる悠馬の様子に、光と顔を見合わせて一緒になって笑った。
悠馬をからかって光と笑いあうなんて、なかなか縮まらなかった悠馬との距離が一気に縮まった気がして、気分が上がる。

「悠馬っていつもクールだから、新鮮」
「でしょー」
「先行くからなっ」

照れている悠馬の横顔が先ほどまで隣にいた和哉に似ていることに気がついて、豊は和哉から伝言を言付かっていた事を思い出した。

「あっ、待ってよ悠馬! 和哉さんも誉めてたよ。悠馬ますます巧くなったなって」
「え! 兄ちゃん来てたの?!」

和哉の名前を出した途端、早足になりかけた悠馬の足が止まりが、顔を上げて勢いよく振り返った。

「あ、うん、俺の隣に。一緒に見てたよ」

驚きながら答えると、悠馬は「え? 来てるの? どこ? どこ?」と豊の後方をキョロキョロと見渡した。

「悠馬にかっこよかったぞって伝えておいてって言って、先に帰っちゃったよ」
「え?」

慌てて和哉がもういないことを言うと、悠馬の動きがぴたっと止まった。

「小木津隼人と一緒だったし、周りが騒ぎだすからって、試合が決まる前に――」
「なんだ……」

豊がそう言い切る前に悠馬は小さく呟き、がっかりと肩を落としてふいっと前に向き直した。
和哉も最後まで試合を見守り、悠馬にも声をかけたかったんだと思う。
席を立つ時、豊に「悠馬に、かっこ良かったぞって伝えておいて」と言った和哉の表情が、どこか寂しそうだった。

――年、結構離れてるし、大好きなんだろうな、和哉さんの事。かっこいいもんなぁ。

悠馬の寂しそうなその後ろ姿に、豊は和哉の優しい笑みを思い出した。
優しく弟想いで、なおかつ一流の野球選手。悠馬は和哉のプレーを参考にしていると言っていたし、この様子を見ても相当尊敬しているに違いない。
クールな悠馬が感情を露わにするほどの、存在なのだから。

「えぇ〜和君来てくれてたんだぁ。俺も会いたかったなぁ〜」

和哉が来ていたことを知ると、光も残念そうに呟いた。

「光君の事もすごいなーって言ってたよ。二人のこと絶賛だった」
「ホントに?!」

和哉が光を見て言っていた事を伝えると、その笑顔が一層輝いた。
光も悠馬と同じ弟のような存在だと言っていた。
悠馬と同じように和哉を慕っているんだろう。

――うちのバカ兄貴じゃ、考えられないけど。

圭吾とは年が1歳しか違わないせいか、幼い頃は兄にライバル心を持っていて、何かにつけ対抗していた。そのせいでケンカもしょっちゅうしていた。
一緒に遊んでいたこともあるが、圭吾のことを尊敬どころか、特別好きだとも思ったことはない。
鬱陶しいと思ったことは何度もあるが。
最近は大人になったのか、逆に今頃対抗心を燃やし始めた兄の事を、時々バカだなぁ可愛いなぁとは思うが、それ以上には思えない。
想像以上にキャッチャーとしてしっかり任務を全うしている姿見た今でも「すげぇじゃん」と感心したが、見直した程度で尊敬までには至らない。
だからそんなにまっすぐに慕える兄を持つ悠馬を少し羨ましいと思った。

「俺もビックリした。光君、なんかその、いつもと雰囲気違くてさ。かっこよかった」
「えへへ。ありがとー」
「光はマウンドに立つと性格変わるもんな」
「えーそんなことないよっ」
「じゃぁ、本当の光が出てるんだ」
「なんだよ、それー!」

さっきのお返しか、マウンドに立つ光の事を悠馬が冷やかすように笑いながら言うと、光が悠馬を小突いた。
初勝利で3人とも気分が高揚しているせいかもしれないが、普段会話に参加しない悠馬が混じって笑っているのが新鮮だった。
なんかさっきからすごく友達のような会話をしているな、とまた嬉しくなった。

「俺そんなに性格変わってるかなぁ?」
「うん……なんか違って見えたよ」

確かに光は性格がかなり変わる。
今はこんなにほんわかとしているのに、マウンドにいる光からはそんな雰囲気はない。
普段の光からは想像できないくらい、生意気そうで勝ち気な表情だった。

「おい!1年遅ぇぞ! 何やってんだよ!」

そんな中、悠馬&光の前が少し列から離れてしまい、二人は先を歩く上級生に咎められた。

「すみませーん! あ、じゃぁね!」
「なんかごめんね!」

豊に手を軽く振ると、悠馬と光は慌ててバスに向かって駆け出した。

「って、あれ? カッシーの弟じゃん?」

すると、すでにバスの前にいる先輩たちが、二人の側にいた豊の存在に気がついた。

「え? ほんと?」
「本当だ。わざわざ応援に来たの?」
「なにそれ、すげーいい弟じゃん!」

バスに乗り込もうとしていた先輩たちも次々と振り返り、一斉に豊を見た。
気づかれてしまうと、挨拶をしていかないわけにいかない。

「あ、えーと……一回戦突破おめでとうございます」

先に走っていった光達の後追い、自分の事を待っているようにこちらを見て立っている先輩たちの前に行くと、そう言ってペコッと頭を下げた。

「豊?!」

皆の視線の中に圭吾もいた。
まさか平日の試合に応援に来てくれてると思っていなかった圭吾は、くりくりの目をさらに目を丸くしていた。

「え、なんで? 学校は?」
「休んだ」
「はぁ? わざわざぁ?! どうしたんだよ、お前」
――もうっ!ありがとうとかさ、素直に言えないわけ?

驚いていたせいもあるかもしれないが、応援に来た事への感謝でも、勝利した報告でもなく咎めるような圭吾の物言いにカチンとした。

――本当、うちの兄貴はなんでこうなんだろ。和哉さんとは大違いだ。
「こら、圭吾っ」

そこへ兄・圭吾の憧れの人、佐和がバスからわざわざ降りてきて、圭吾の腰に水平チョップを入れた。

「まず“ありがとう”だろうが!」
「だって」
「だってもくそもねぇっ。せっかく来てくれたのにそういう言い方すんじゃねーよ」
「はいカッシー、野球部の心得」

佐和の台詞に続けて、バスの前に入り口にいた主将の草野が、そう言って圭吾の肩をポンと叩いた。

「……みんなに感謝……です」
「だったら?」
「ほーら、圭吾」
「……来てくれて……ありがと……」

二人に促され、渋々圭吾がそう言った。
さすが先輩だなーと感心したが、圭吾はやはり面白くないようで、ぶすくれたままバスに乗ってしまった。

「相変わらず圭吾、なーんか豊君に当たるんだよなー。豊君、わざわざ来てくれてありがとな」

バスに乗り込む圭吾の後ろ姿を見て苦笑いを浮かべると、佐和が振り向いて礼を言ってくれた。

「いえっ! あんな兄ですみませんっ」
「あはは。ホント豊君のが上みてぇだな」

思わず謝ると、佐和はケラケラ笑いだした。
相変わらず可愛い顔をしている。
背も光より小さいのに、この人がエースなんて未だに想像つかない。

「佐和さんの投げるところ見たかったんですけどね。でも光君絶好調だったし、それは次回のお楽しみにしておきます」
「あぁ。でも、馬橋投げるとこ見れただろ。そっちのが貴重だよ」
「え?」
「だって、あそこは俺の場所(もん)だから」

そう言って、にやっと笑い、豊の前を通り過ぎていった。
その笑顔は自信に満ちあふれていて、背番号「1」が輝いていた。

――この人も男前だな……。

その一言で、堂々とマウンドに立つ佐和が想像出来た。
おそらく一度マウンドに立ったら、佐和は絶対にそこを譲らない。
でも、この人が後ろに控えているなら、先発を任されても控えピッチャーも安心して投げられる。
「エース」という存在の大きさを改めて知った。

「馬橋出れないかもしれねーけど、圭吾の応援、また来てよ。あれでも頼りにしてるんだ」
「え?」
「俺と組んだ圭吾、最強だから。きっとビックリするよ」

そう言ってニッと笑った、その自信満々の笑みに思わずドキッとした。
ずっと佐和に夢中な圭吾をバカにしていたけれど、今なら圭吾の気持ちがわかる。

「佐和、そろそろ」

いつの間にか全員集合したようで、草野が佐和に声をかけると

「おう。じゃ、豊君また」

そう言ってバスに乗り込んでいった。
圭吾の事は別にどうでもいいが、光や悠馬が活躍するのを見るのは楽しいし、佐和の勇姿も見てみたい。
佐和があんなに自信満々に言う「最強のバッテリー」というのも気になる。
圭吾はきっと嫌がるだろうけれど、次も行くしかないな、と出発したバスを見送りながらそう思った。

>>9へ続く
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