初勝利の翌日。
 いつもの時間、いつもの駅前コンビニ前で、豊はお祝いで作った好物だというレーズンパンを持って光と悠馬の二人を待っていた。
 しかし、いつも一緒にいる野球部集団の中に二人の姿はなかった。

「ねぇねぇ、光君たちは?」

 もうすっかり顔見知りになった喜多川野球部。ワイワイ夜食を物色中だった一年の岩間に声をかけると、意外な言葉が返ってきた。

「あぁあの二人なら、綾瀬のじーちゃんち」
「え?」
「二人とも家遠いからさ、夏の間はしばらくそっから通うことにしたんだって」
「え、そうなんの?? 二人で?」
「あれ? 聞いてねぇの?」

 いつもここで楽しそうに光と話をしていた豊が驚いたので、今度は岩間の方が不思議そうな顔をした。

「あ、うん……」

 その一言で豊の心が沈んだ。
 親しくなったと思っていたのは自分だけで、向こうはそうでもなかったのかもしれない。
 うなだれたまま、豊はきびすを返し帰路についた。
 昨日も帰ってから改めて光におめでとうのメールをしたし、寝るときも「ゆっくり休んでね」とお休みメールをしている。
 その時でも、一言もそんな話はなかった。
 駅前(ここ)でよく待ち合わせをしているのに。

−−急に決めたのかな。だから言う暇なかったのかも。

 ちょっと抜けてる性格の光なら、ありえなくもない。
 今日は特に会う約束をしているわけではない。
 教えてくれなかったのではなく、教えるのを忘れただけかもしれない。
 ハッとして、俯いていた顔を上げた。
 光と悠馬の二人で、というのも気になるし、どうせ二人で食べるだろうと二人分用意してある。

−−届けに行ってみようかな。

 その家の場所は知っている。
 三年前に喜多川高校が甲子園が初出場を果たしたとき、人気選手だった綾瀬和哉の家が近所にあると、話題になった。
 実際は祖父母の住んでいる家なのだが、そこから通っていたことで、多くのファンが近所をウロウロしていた事を覚えている。
 しかも自宅から徒歩圏内だ。考えようによっては、駅前で待ち合わせするよりいいかもしれない。
 会いたくなったら会いに行けるんだから。
 今よりもっと仲良くなれるかもしれない。

「よし、行っちゃおうっと!」

 早速スマホを取り出し、光にメールを送った。

*******

 この辺では珍しい日本らしい平屋の一軒屋。「綾瀬」の表札がかかっている門には郵便受けがあるだけで、チャイムはない。
 戸惑いながら「こんばんはー……」と小声で言い門をくぐると、玄関脇にチャイムを見つけホッとした。
 チャイムを押すと、「あぁ、いい! 俺の友達だから!」という声が聞こえ、それから間もなく眉をしかめた悠馬が出てきた。

「おいーッス、悠馬!」

 知らない場所で知っている顔が出てきたのと、さきほど漏れきこえた「俺の友達だから」の台詞が嬉しくて、豊は満面の笑みを浮かべ軽く右手をあげた。
 が、悠馬は挨拶もせずに小さくため息を吐いた。

「なんでうち知ってんの?」
「だって俺んち近所だし、この家有名だもん。あ、俺んちね、そこの角曲がって――」
「で、なんの用?」

 さらに豊の話をバサッと遮る。 ここに来ても塩対応は相変わらず。
 しかし制服かユニフォーム姿しか見たことがなかったせいか、Tシャツにジャージというラフなスタイルがなんだかとても新鮮で、そのつっけんどんな態度にもどことなく柔らかい雰囲気を感じた。
 着ているTシャツが、意外にも豊が好きなキャラクターものだったから余計かもしれない。

「あ、悠馬、バビョーン君好きなの?」

 バビョーン君というキャラクターがそのTシャツの中央に大きくプリントされていて、豊が思わず嬉しそうにそう言うと、悠馬は目を丸くした。

「違っ、これは兄ちゃんがくれたやつで、俺は別にっ」

 真っ赤になってギュッとTシャツの柄の部分を摘んで隠すような素振りを見せた。

「いや、俺すげー好きなんだ。色々グッズ集めてるし。でもそれ、俺も見たことないやつだ」

 キャラクターものなんてとバカにしたように聞こえたのかなと、慌てて言い加えると、

「え? お前も好きなの?」

 悠馬の表情と、Tシャツを握っている手がふと緩んだ。
 その時の悠馬が今までにないほど隙があって、きょとんとしたその表情に豊は不覚にもきゅんとしてしまった。

−−おっと、なにその顔。かわいいじゃん。

 やはり家にいるからいつもと違うのかなと思った時、

「あ、豊君、いらっしゃーい!」

 その背後から悠馬と対照的な笑顔全開の光が出迎えた。

「ごめんね。言ってなかったよね。昨日の夜からこっちにいるんだ」

 光はいつでも笑顔だなと改めて思う。光の笑顔を見るとホッとする。

「そうなんだ。コンビニにいないから心配しちゃったよ」

 悠馬との会話にはいつもちょっと緊張感があるから余計かもしれない。
 悠馬も光の登場にホッとしたのか、隠れるように光の後ろに回ると「すぐ帰れよ」と言って部屋に引っ込んでしまった。

「あれ、そのTシャツ、悠馬のと色違い?」

 よく見ると光も悠馬と色違いのバビョーンTシャツを着ていた。

「うん。コレ和君にもらったやつなんだ。このキャラ、変な顔だよねー」

 自分のTシャツを見ながら「あははー」と軽く笑った。
 どうやら光はこのキャラの事はあまり知らないらしい。

「俺好きなんだ。色々グッズ集めてるし」
「え、そうなの? 悠馬も好きなんだよ、このキャラ。人気なんだねー」
「え?」

 悠馬は自分は別に好きじゃないというような事を言っていたが、キャラ物を着ている言い訳だったのだろうか。
 バビョーン君が好きだと言った時の、悠馬のちょっと緩んだ表情の理由がわかった気がした。
 別に隠すようなことじゃないのに。

「で、何? どうしたの?」

 光が首を傾げると、豊は目的を思い出した。

「あ、そうそう、初戦突破祝いでレーズンパン作ってきたんだ!」

 鞄からパンの入ったや紙袋を取り出した。

「本当?! うわー嬉しい!」

 袋を渡すと、中身を見てより一層笑顔が輝いた。

−−よかった! 持ってきて正解!

 私服のせいか、光もいつもより距離が近くに感じる。

「次も頑張ってね!」
「んー、佐和さんがいるからわからないけど」

   一瞬光の笑みにかげりが見え、佐和の存在の大きさを感じた。

「でも光君のピッチング、すごかったよ?! きっと次もあるよ」
「いややっぱり緊張しちゃって、柏先輩にも迷惑かけちゃったし、まだまだだよ」

 公式戦、しかも甲子園がかかった試合のデビュー戦で、あんな堂々としたピッチングをしているのに、まだ満足していない光。
 素直にすごいと思った。
 圭吾の方が見ていられないくらいひどかったのに。
 自分ならあの出来に満足して、絶対調子に乗っている。

「でもまだ先は長いから、チャンスはたくさんあるし、頑張るよ!」

 それでも光は前を向いて、ガッツポーズをする。

「そうだよ!」

 まだ初戦を勝利しただけ。
 この後6試合勝たないと優勝出来ないし、甲子園にもいけない。
 いくら佐和がすごい投手でも、光のような控えがいるのは心強いに違いない。

「大丈夫! 大事な初戦を一年生にマウンド任せるって、かなりすごいことだもん!」

 心の底から言った。
 相手が格下でも油断は出来ない。してはいけない。
 圭吾の話を聞く限りでは、喜多川の監督はそういうところはしっかりした考えを持っている人だ。
 喜多川高校自体が3年前に下克上で甲子園を勝ち取ったせいもある。

「ありがと。そう言ってもらえると元気でるよ! 豊君って本当にいい人だよねー」

 あはは、と光が笑う。

「……えーと、じゃ、それだけだから」

 会話が一瞬途切れると、豊はそう言って一歩足を後ろに引いた。

「うん、パンありがとう」

 もっと話をしたいけれど、練習で疲れているのにこんなところで長話はどうかと思うし、家の人も迷惑だろう。
 悠馬にも「早く帰れ」と釘を刺されているし。

「俺んち近所だから、また何か作ったら持って来るね」

 でも来るなとは言われていない。
 そう言ってさりげなくまた会う約束を交わす。

「本当? ありがとう!」
「うん、それじゃ。おやすみ」

 光のまっすぐな笑顔に別れを告げ、綾瀬家を後にした。
 立派な門を出て一度振り返る。

−−いい人かー。もう少し踏み込みたいんだけどなー。

 どうも光には自分の想いが伝わりにくい気がする。
 もう少しこっちの好意に気づいてくれてもいいのにと思うが。

「……それは無理だろ」

 そう思った自分瞬時にに突っ込みをいれる。
 異性ならまだしも、同性間の恋心に気づく方がおかしい。光の反応が普通なんだ。

「結局圭吾と同じか……」

 兄の圭吾は豊とは逆に、好意をオープンにして相手にぶつけている。しかしそれでもその相手である佐和に軽くあしらわれている。
 加えて光はあの調子でちょっと天然で純粋だ。
 告白してもわかってもらえない可能性の方が高いし、わかってもらえたらもらえたできっと過剰に意識されて避けれそうで怖い。
 光の、あの天使のような笑顔を壊したくないという思いの方が強い。
 相手が同性という点で最初からこの恋の成就はほぼ諦めているのに、会うたび「やっぱり好きだなぁ」と改めて思ってしまう。

「とりあえず、もう少し仲良くしてみて…かな」

 光のことを考えると、いつも自分はいったいどうしたいのか自分のことなのにわからなくなる。
 そして最終的に考えるのが面倒になって。

「ま、なるようになるか」

 結局毎回そこに落ち着いてしまう。
 ふーっと大きく息を吐くと、豊は綾瀬の家に背を向け歩き出した。


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