敷いた布団の上に礼子を降ろすと、礼子は笑っているような幸せそうな寝顔で、寝返りを打った。
礼子を抱えて部屋まで運んだ蓮と朋久は、ふーっと息を吐き、その傍らに並んで座った。
「いや〜〜おばさん、すげー楽しそうだったな」
「こんな母さん初めて見たよ。でも、本当に大丈夫なのかなぁ、病院」
その寝顔を見てふふっと笑みをこぼす朋久に対し、蓮は礼子の仕事の方が気がかりで、小さくため息を吐いた。
病院勤めの中でも、救急センターに次いで多忙だと言われている外科。
そこの部長で責任者でもある礼子が丸一日休みをもらえるのは月に数回程度しかない。
にも関わらず、患者の急変や救急搬送など諸々の要因で、たいてい夜になって呼び出しが来る。
休みなのだから、要請には拒否も出来るし携帯を切る事だって出来る。
しかし礼子は「患者さんが待っているから」と、出来る限り呼び出しに応じていた。
昼間は来るかもしれない夜の呼び出しに向けて睡眠を取り、酒を飲むこともしない。
たまに食事に出かけても携帯を手放さないし、途中で呼び出しが来てしまい、蓮は一人でレストランで食事をした事だってある。
半年ほど前に増員があったようで、以前より呼び出し回数は減ったが、それでも何があるかわからないと、結局本当の意味で礼子の気が休まる事はなかった。
だから、今夜のように携帯を切ってしまうなんて、ましてや酒を飲み寝てしまうなんていう礼子の姿を見たのは、蓮も初めての事だった。
「大丈夫だって言ってんだから、大丈夫なんだろ。おばさんいつもがんばり過ぎなんだから」
「うん……そうだな」
確かに今までの経験から、礼子が無責任にはしゃいでハメを外すなんてそんな事をするはずがない。
朋久の言葉に頷くと、蓮はそっと礼子に布団を掛けた。
クリスマスも正月もいつも仕事。
女手一つで蓮を育てるのに必死で、ずっと働きづめだったそんな礼子が、今日という日を心底楽しんでいた。
初めて見るはしゃぐ礼子の姿に驚きはしたが、それは同時に心に余裕が出来たと言うことだ。
自分の為に必死で働く母を見て、たまにはゆっくり休んで欲しいと何度も思ったし、そう言った。
それでもいつも笑って誤魔化して、頑なにその鎧を脱ごうとしなかったのに。
「……」
ふと朋久に視線を移す。
「お前のおかげだよな……」
「ん? 何が?」
きょとんとした顔で首を傾げる朋久をしみじみ見つめた。
朋久は礼子の家事の負担を減らしてくれただけじゃなかった。
「色々……ありがとな。お前がいて本当によかった」
それに気づいたら、珍しく面と向かって素直にそう言う事が出来た。
「え? え? 突然何?? 素直な蓮なんて気持ち悪い〜」
しかし、朋久が喜んでくれるかと思ったのに、そういう時に限って朋久は茶化すように笑った。
いつも「素直になれ」と口うるさく言うくせに。
「〜〜〜〜悪かったなっ。じゃぁもう二度ともう言わねーよっ」
感謝の気持ちを素直に口に出来た事に満足していた蓮が、さすがにムッとして顔を背けると、
「あーごめん、すっげぇ嬉しいよ!!」
朋久は慌ててフォローを入れた。
「もういい。もうお前には何も言わねー」
「ごめんって。俺今日めっちゃ嬉しくてちょっと浮かれんだ。ほら、蓮はこんなカッコいいプレゼントくれるし、おばさんも俺のためにご馳走作ってくれて。なんかさ、俺、蓮んチの家族になった感じでさ」
「……家族……」
その言葉に、蓮は再び朋久の方を向いた。
「蓮と一緒にいられるだけですげー幸せって思ってたけど、今日はそれ以上に……なんてゆーかマジで幸せ感じててさ。感動して泣いっちゃうかと思った」
「……トモ……」
朋久が今夜の事をそんな風に感じてくれたことが嬉しすぎて、何を言って返せばいいのかわからず、蓮はただ朋久を見つめた。
食事は確かにご馳走だったけれど、他に特に変わったこともせず、いつものように三人で食卓を囲んだだけなのに。
「……本当だよ。俺、こんな幸せな誕生日過ごしたことない……」
その言葉が、決して大げさなんかじゃないと言うのは、自分を見つめる瞳を見てわかった。
朋久の瞳はいつも以上に優しく柔らかい。
「……」
「…………」
蓮が言葉を失い、会話が途切れると途端に二人の間に甘い雰囲気が流れた。
数秒間見つめ合うと、朋久は無言で蓮の右肩にそっと手を置き、ゆっくり顔を近づけた。
誘われるように、蓮も目を瞑る。
そして唇が重なり合う――その直前、礼子の寝息が耳に入り、蓮がハッと我に返った。
「ま、待ったっ」
とっさに顔を引くと、寸でのところまで迫っていた朋久の唇を手のひらで受け止めた。
「ぶっ」と言う変な音立てた後、顔を引いた朋久は「そんなぁ〜〜」と、あからさまに不満そうな顔と恨めしい声で蓮を非難する。
「でもさぁー。今すっげぇ、い〜雰囲気だったじゃん〜〜」
「こんな所で出来るかっ」
「えぇ〜〜、でも今お前だって目ぇつぶって」
「あ! あーまだ片づけ残ってたっ」
唇を尖らせて不満を訴えている朋久を残して、蓮は逃げるように慌てて部屋を出ていった。
(あ、危ねぇ〜〜〜〜)
早足でリビングに戻ると、テーブルに手を付き深くため息を吐いた。
酒を飲んで爆睡中だとはいえ、母親がすぐ側にいる状況でキスしようとするなんて、あり得ない。
あり得ないのに、流されかけた。
あと1秒、我に返るのが遅かったら流されていた。
それでなくとも、キッチンに母親がいるリビングで、うっかりキスをしてしまったというのに。
(……なんとなく……ヤバい気がする……)
クリスマスの大喧嘩以降、朋久に弱くなっている気がしてならない。
なんだかんだ朋久に押し切られ、そのペースに巻き込まれ、気が付くと朋久のわがままを許している自分がいる。
なぜか前のように強く抵抗しきれない。
――なぁ、今日本当にダメ?……誕生日って事でさー、絶対バレないようにするからさ。お願い!
夕食前に朋久に言われた台詞が脳裏をよぎる。
(いやいやいやいやっ!そこはダメだろっ)
押し切られてしまいそうな予感をかき消すように、蓮がぶんぶんと首を振っていると、
「何やってんの?」
礼子の部屋から戻ってきた朋久が、リビングの入り口で首を傾げながら蓮を見つめてた。
「え?! いや、えーっと、あ、虫! 虫いて」
「ふぅ〜ん。あ、ねぇ。おばさんトコに水置いておいた方がいいよね? 持ってく?」
驚き慌てて適当な事を言って誤魔化すが、焦る蓮に気づいていない様子の朋久はまっすぐ冷蔵庫に向かった。
「お、おう。そうだな、頼むよ」
「ラジャー♪」
朋久は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、それとコップをお盆に載せリビングを出ていった。
その姿からはさっきの不満そうな感じ残っていない。
むしろ鼻歌を歌っていたり、何故か機嫌が良くなっている気がするほどだ。
(……今更あいつ意識してどうすんだよ。しっかりしろよ、俺……)
再び一人になったリビングで、蓮は再び大きなため息を吐くとゆっくりとテーブルの上の食器を片し始めた。
<すみません、続きは18禁となります>
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