旅行鞄を開け、黙々と洗濯物の仕訳をする朋久に蓮は首を傾げた。
「なぁトモ」
「……何?」
名前を呼んでも朋久はこっちを向かず、そう言うと「よいしょっと」と大げさに呟きながら、洗濯物を掲げ立ち上がった。
明らかに様子がおかしい。
帰ってきてから朋久はずっと蓮と目を合わせようとしない上、言い方に刺を感じる。
2泊3日の修学旅行。
出かける前から散々ゴネていたので、朋久のために蓮は土産も買って、急いで帰ってきた。
それなのにこの態度だ。
帰る時間を知らせた後、蓮の旅行中実家に帰っていた朋久は、その時間に合わせてこっちに戻るとメールを返してきた。
だから帰宅した途端、蓮はいつもの笑顔で朋久が出迎えてくると思っていた。
そう思って玄関を開けたが、出迎えた朋久に笑顔はなく、ずっとムスっとしていた。
「なぁ、お前何怒ってんだよ」
原因不明のそんな朋久の態度にいい加減イラッとして、蓮が聞いてみるが、
「自分の胸に聞いてみろ」
朋久はぶっきらぼうにそう言い捨て、洗濯物を抱えて洗面所に向かった。
「は?」
そう言われても全く心当たりがない。
修学旅行に出掛けたことを、まさかまだ拗ねているわけではないだろう。
旅行までの3日間、寂しいだの何だの理不尽な駄々をこねる朋久に言いくるめられ、蓮は毎晩相手をさせられた。
1週間の回数制限を越えていたのも大目にみてやった。
あれでようやく朋久は機嫌を直した――はずだ。
それをまだ引きずっているなんて、朋久はそこまでしつこい性格ではない。
ということは、旅行中に何かあったのかしか思い当たらない。
「う〜ん……メール?」
眉間にしわを寄せ考えるが、思いつくのは朋久へのメールをおざなりにしていたというくらいだ。
しかしそれは仕方ない。
一緒に住み毎日顔を合わせていて、頻繁にメールを送り合うような関係ではないので、いきなりメールをしろと言われても、蓮にはするタイミングがわからなかったのだ。
結果、痺れを切らした朋久から来たメールに返信するだけだった。
しかもその朋久からのメールというのも「寂しいよー」から始まり、「浮気してないよね」を経て「愛してるよ」で終わる絵文字顔文字満載の長文。
そんなメールにまともな返事をすると思っていたのだろうか。
当然朋久のメールの内容は無視して、蓮の返すメールは「今日はどこどこへ行った」「もう寝る」程度になる。
それが不満だっと言うのだろうか?
そんなの、俺の性格考えたらわかるだろうが……。
はぁ、とため息を吐いて、蓮はソファの背もたれに体を預けた。
あんな態度とるなら、今日わざわざ自分の帰宅に合わせてこっちに帰ってこなくてもよかったのに、とさえ思ってしまう。
朋久も今日こっちに戻ってくると聞いた時、そんなに会いたかったのか、とちょっとくすぐったい気持ちになり、笑顔で出迎える朋久を想像したら自分も早くい会いたくなって、急いで帰ってきた。
それなのに。
「なんなんだよ一体、トモのヤツ」
ため息と一緒に思わず不満を吐き出すと、
「心当たりねーの?蓮」
いつの間にか戻ってきた朋久に背後から声をかけられた。
「わっ!」
驚いて振り返ると、むっとしたままの朋久が蓮を見下ろしていた。
「俺がなんで怒ってるか、わかんねー?」
「え?えっと……メール、だろ?」
「メール?」
朋久の威圧感に戸惑いながら、今さっき考えた理由を言ってみた。
コレしか考えつかない。
「メールしなかったから……それで拗ねてるんだろ?悪かったよ。でも俺だって色々あって」
正直面倒だと思っていたので、ちょっと冷たくしていた事は素直に謝った。
でもタイミングやなにやらでなかなか出来なかったんだと事情を説明しようとしたが、
「違ぇよ。そんな事じゃねーよ」
朋久はますます唇を尖らせ、不機嫌になった。
「そうなの?じゃぁ何だよ?」
それに逆に蓮は目を丸くした。
他に何があるというのだろうか。
さっぱりわからない。
「マジで本気でわかんねぇの?」
眉をしかめ首をひねる蓮を前に、朋久の言葉がますます冷たくなる。
しかし本当にこんなに朋久を怒らせるような事なんて記憶がない。
「…………わかんねぇって言ってんじゃん」
理由を言おうとしない朋久に、蓮もいい加減腹が立ってくる。
「もー何なんだよ、ハッキリ言えよ」
口調を強めにしてそう言うと、
「じゃーこれ、何?」
朋久は蓮の前に周り、自分のスマートフォンを取り出した。
指を2回ほどスライドさせると、蓮の目の前にその画面を
見せつけた。
「何?」
眉をしかめながら、その画面をまじまじと見る――と、
「なっ何だよコレ!!」
思わず掲げた朋久のスマフォを奪った。
そこには、数人の女の子と一緒に写真を撮っている蓮の姿があった。
「何でお前がこんな写真……っ」
この背景は最終日、今日の小樽散策の時の写真だ。
一緒に回っていたのは和哉や石岡ら野球部のメンバーとだったが、観光地やお土産屋なので遭遇した女子グループに頼まれ何回か一緒に写真を撮った。
そんな写真を何故朋久が持っているのかと驚いてると、
「隼人が送ってきたよ」
朋久がぶっきらぼうにそう言った。
「小木津が?!なんでアイツそんな余計な事……」
その答えにますます頭が混乱したが、
「あ!」
思い出した。
昨日、よからぬ事を企んだ小木津が和哉を部屋に連れ込んだ事を、特殊な趣味を持つ一部の女子の間でちょっとした騒ぎになり、小木津の部屋の前に様子を伺いに女子が集まった。
それを偶然見た蓮が慌てて和哉の携帯に電話をし、邪魔をしたのだが、おそらくその恨みだ。
この騒動のせいで二人は喧嘩をしたのか、和哉は今日一日小木津を避け、ずっと蓮や石岡と共にいた。
「あのやろ〜〜」
その腹いせに違いない。
あれは小木津が悪いのに、よりにもよって女の子に囲まれている写真を朋久に送るなんて。
嫌がらせ以外のなにものでもない。
「あのやろ〜、じゃねーよ!俺さ、浮気すんなって言ったよな?何度も言ったよな?修学旅行前後は舞い上がって危険だから、油断すんなって言ったよな?」
そしてまんまと朋久はその小木津の企みにハマった。
「いやでもこれは別に浮気とかそーゆーんじゃねーだろ。たまたま――」
朋久の言いがかりに半ば呆れながら、蓮がその時の状況を説明しようとするが、朋久は全く話を聞く耳を持たない。
「だってこの中に絶対お前の事好きな奴がいるだろ。じゃなきゃ一緒に撮らないだろ。なんでそういう奴に愛想振りまくの?」
「いやお前、そんなの邪険に出来るわけねーし、普通だろ」
「わかってるよ!女は強引だからお前が承諾する前に囲まれたんだろうけどさ。お前も優しいからそんな笑顔見せちゃうのわかるけどさ」
「なら――」
「でもそんな笑顔見たら、勘違いしてその子絶対ますますお前の事好きになっちゃうだろーが。そんでさ、俺の蓮にさ、蓮は俺のなのにさ、急に慣れ慣れしくなったりするんだよ」
「いや、ちょっとお前それ考えすぎだろ。そんな」
朋久の止まらない妄想にさすがに考えすぎだと言うが、
「そうなんだって!女ってそういう生き物なの!修学旅行みたいなイベントできっかけ作ってくるような子は、その後急接近してくるんだよ!しかもそーゆー子はしつこいんだよ。この俺が言うんだから間違いねーよ!」
「……」
自分の考えを力説する朋久に、思わず蓮は言葉を失った。
朋久の妄想もすごいが、その根拠が自分の経験だと言われて複雑な気分になる。
朋久が女の子と遊び回っていた過去は、蓮ももう思い出したくないし、朋久自身その話題に触れられたくないと言っていたのに。
しかも。
「中学の時だって、それでお前隼人の彼女とトラブったんじゃんか」
「……っ!」
さらに蓮の消したい過去まで引き合いに出してきた。
あの頃は、小木津に複雑な想いを持っていたせい。
だから、当時の小木津の彼女が、小木津のことで悩んでいると聞いて、黙っていられなかった。
彼女を励ましたり、小木津に嫌みのような苦言を呈したりした。
結果、朋久の言う通り彼女は蓮に心変わりしてしまったが、でもあれは実は小木津を困らせたいというひねくれた想いがあり、そうなればいいと、ほんの少し期待してわざと彼女に優しく接していた。
本当に性格が悪かった、イヤなヤツだったと自分でも心底思う思う。
だからあれと今回の事は全く違うし、それにもうあの頃の事は思い出したくないのに。
「蓮は俺のものだってわかてるけど!でもそんなのお前言えないだろ? 断るにしても、お前付き合ってる人がいるなんて言ってくれないだろ?」
しかし興奮している朋久は、自分の失言で蓮がかなりダメージを受けている事にちっとも気付かず、矢継ぎ早にまくしたてる。
「でさ、適当に野球に集中したいからとかさ、そんな理由を言うだろ?そしたら引退してからでいいとか、じゃぁ友達からでいいからとか、断れないように誘導してくるんだよ。お前の優しさにつけ込んで断れなくするんだよ」
「……」
「んでさ、ずるずるさ、強引に付き合ってるみたいなさ、関係にさせられてさ。しかも周りから固めていくんだぞ?そんな事になったらどうするんだよ!俺何?!蓮の何?!だから油断すんなって、あれほど言ったのに!なのになんだよ、コレ!!俺ぜぇっってぇ別れないからな!!」
後半は涙声になりながら、朋久は蓮を責めるが、あまりに興奮しすぎて、支離滅裂でよくわからない事を喚いている。
女の子と一緒に写真を撮っただけで、なんでそこまで妄想できるのだろうか。
ただクラスメイトと一緒に写真を撮っただけだ。
それも数人。ツーショットとかではない。
告白どころか、大した会話もなかった。
この女の子達は、蓮だけでなく、和哉や石岡とも撮っていた。
将来お宝になるかもー、などと言いながら。
「蓮! ちょっと聞いてんの?!」
やばい。
すげーイライラする。
朋久の声が耳に触る。
「蓮ってば!!」
その声に、とうとう蓮の堪忍袋の緒がプチッと切れた。
「あーーーーーもう!うるせぇ!!!!うるせぇっ!!」
そう叫ぶと勢いよく立ち上がり、朋久と対峙した。
「じゃぁどうすりゃいいんだよ!起こってもないことで喚くな!面倒くせぇ!」
「だって……ずっと俺の事放っておいて、なにこんなにやけた顔で女の子と写真なんて撮ってるからさ……」
まっすぐ朋久を見つめる蓮に対し、その剣幕に押されたで朋久は一瞬で勢いをなくし、そう言って視線を泳がした。
その態度にますますイラッとさせられた。
――やっぱり結局そんなことなんだ。こいつが言いたいのは。
なんだかんだ言って、ただ一人で置いてけぼりをくらったのが気に入らなかっただけなんだ。
出かける前はそんな拗ねた態度もちょっと可愛いと思ったし、なんか嬉しくも思って、直前まで朋久のわがままに付き合った――それなのに。
「だから仕方ないっつてんだろ! そんな事ばっかり言ってんならもう家帰れよ!」
度が過ぎるとウザいだけしかない。
「え、そんな、だって蓮」
「だってもクソもねぇ!疲れて帰ってきてるのにイライラさせんな!うぜぇんだよ!」
旅の疲れも重なり、朋久にあまりに腹が立った蓮は「でもさ、だってさ……」とグチグチ言い続ける朋久を無視し続け、さっさと床についた。
朋久が家に帰ったかどうかは、知らない。
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